2024年の日本の始まり | よろず話屋

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1月1日の令和6年・能登半島地震から、次の日の2日、羽田空港の海保飛行機とJAL機の衝突、3日の旅客移動の困難化。

 

年末に「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」という映画をしてたが、この中で「人生には3つの坂があり、上り坂、下り坂、ま・さ・か!?」といっていた。

 

まさに・・・・・人生には3つの坂がある。

 

正直、正月だのなんだのは文化だから、その日に何がおきたかなんて余裕ある人の遊びでしかない。

 

それはそれだけのことだ。

 

とりあえず今の状況では、被災された方々は生活に関する情報や、そののちに行政や自らの仕事や保険会社などとの契約などの情報が必要だろうが、被災してない俺達にはそういう情報はあまり関係ない。

1月1日の地震は令和6年・能登半島地震に命名したとか、まさに地震の直接被害を受けない側が行う事務や、そう記憶するという暇つぶしの行為だ。

ネット記事に、中国のうえいぼなどでいろんなことをいわれている・・・などという記事も見たが、自国のことをいう自由がない人たちのいうことだから、日本人は寛容にながめてください・・・というしかない。

これに中国人が反発しても、本当に発言内容で共産党機関に、そうされたと当事者がしらず監視対象化されるんだろうな…自国に関する名誉棄損的な発言は。

 

能登半島は半島で、本州側のエリアは四方から助力を得やすいが、あの半島内は三方が海で、なおかつ陸地は被災地なのでいろいろ厳しいということだ。

 

2日の羽田空港の飛行機衝突事故。

6:00くらいからニュースで取り上げ始めたので、見ていたが、当初は乗員もまだ取り残されているという情報があるといっていたので、そうならもう死んで無理だなと思った。

これは本当にすでに脱出が終わっていてくれと誰もが思っただろう。

無事に全員が無事ということで、これはよかったことだ。

そうでなければ海保へもまた違う見方が生じただろう。

全員が無事だった、これはいいことだ。

後はお金ですむ。

そういうものだ。

 

公的機関の人たちは自分たち側の同僚をいたわる、我々民間側は民間側をいたわればいいのだ。

何も難しくない、どーでもいいことだ。

 

何かあるのか?これで。

 

ロシアを見てごらん、国のために戦い、大統領は「英雄だ!」とほめたたえる。

これが国と軍人などの公務員の関係だ。

大統領の指示が国の行為なら、まさに国と軍人の関係。

武器を提供する民間関係は、民間の兵器製造に感謝し、民間製品の不良品での軍人の死は、甘んじて受け入れるという関係。

当然、民間への改善要望はするが。

 

ぞっとするか?

 

だが、表面上は、言葉上は、宣伝上はそうするんだ。

 

ま、そういう俺が罵倒されるのか、そうしている側という大きな集まりが罵倒されるかはノータリン次第だからなおさら恐ろしいものだ。

 

羽田空港の乗員全員無事は、つるのマークだった人たちの訓練のたまものですね、ありがたいことです。

まだまだ日本にも大丈夫なものがあったわけで。

 

乗客側はどうもこうもない。

ぶつかった時点で”出火”、つまり燃えているのだから、人は火に弱い。

どうもこうもないだろ、逃げるだろ、まともな身体機能があるなら。

 

そこに脱出用の滑り台をきちんと用意してくれたわけで。

 

あ?何?これ以外のことばがいんの?馬鹿なんだよ、お前らは。

 

海保側も簡単に思うものがある。

普通ならなかったこの衝突。

なかったろうな、普通の時なら。

あれこれと普段はないことを行い、もれがないか、あるいは聞くところによると目的地への到着時間がすでに遅れていたようだから、それへのあせり、心理的圧力だな。

そういうもので有限な、おそらくすでにめいっぱいだった人間の脳能力を超えたから、いわゆる簡単なミスといえる状態を生む。

 

いやあ、人はそうできてるはずだが・・・・。

 

昔の年寄が「年のせいで物忘れが・・・。」とかいっていいわけつくってるから若者が間違った理解するだろ?

どいつもこいつもと思うが。

 

30歳くらいならもう自前の脳の記憶量は満タンにしててほしいな・・・・・。

 

後?あとはもう物忘れさ・・・・・。

 

多くは多分、30歳ではまだ満タンにしてねえだろうな‥‥怠け者が多いだろうから。

 

そうして3日というUターンのピーク日?

 

詰み?

 

そういう三が日から始まる2024年。

 

今回の地震以前に、ニュース見てればいくらか対策の布石はいくつかあったよ。

起きてから対応するという考えは、何事も後手後手なのは必然だ。

 

今回以前に起きていた震度6クラスの数回の地震と、古い家の耐震性への不安、さるいは新潟のどこかで起きた古い集落の密集地での住宅火災での10件以上の延焼。

長岡市だったかな?

道が狭く、消防車も入れずとか。

そこに地震による水路などの破壊などでの消化水不足なんだろうね、朝市の全焼。

 

被災しなかった人たちは、次の予防が智慧であり、恩恵であり、福音なんだ。

 

不謹慎でもなんでもいいわ。

 

今に限らず、寒いからあたたかいアルミシート入りの毛布とか、寒冷地対応の寝袋の購入とか、どんな水でもろ過してのめるようになるとかいうサバイバルグッズ、あるいは例えば今の俺は30枚ほどの板チョコを保持しているとか・・・・。

日頃の生活に防災的な”普通の日常生活”をしてればいいのだから。

 

普通にして。

 

事前の用意。

 

もちろん完全で万全などというならば、それを求めるだけの対価をお前が使っておけ!ということだが、まったく打つ手なしという日常生活送る人はとても問題があるだろうな・・・・。

 

何を見ていきているんだろうか?って。

 

防災・・・・。

 

防災と呼ぶか、普通の生活という状態か。

 

そういうのが人の差だろう。

 

寒冷対応の寝袋は車につんでおくといろいろいいよね。

余裕あるときに買っといて。

車中泊もエンジンかけずに燃料の温存だ。

 

覆水は盆に返らず。

人助けは良いこととされており、良いことにもランクがあり、笑顔や気休めやなぐさめをいうことも善とされてはいるが。

 

そういう価値観を自分の脳においておくことがそれこそ俺自身の能力への無駄だ。