kimama

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ぴろこの日記です

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そういえば、全然自分を大切にしていないことに

突然気付いた。


今までの人生で一番大好きだった人。

今でもその人が好き、なんて最近思ってた。


でも、よくよく紐解いてみると、

その人、全然私のことを大切に扱ってはいなかった。

サド的な感じ。


さらに、よく過去を検証してみると、

確かに私のことを大切にしてくれる人もいた。

でも、そいういう人には途中で飽きちゃって、別れてた。

相手にしたら、大切にしてたのに、なんで?って怒りも当然あろう。

そのせいか、その後は微妙な距離で、なるべく顔を合わせないようにしてた。


大切にされることが、苦手らしい。

愛を受け取れない、ということか。


同様に、

自分も自分を大切にしていない。

どちらかというと外の世界優先。

基本的に人が怖い。

相手は強くて、私は弱くて

相手に気を使って、相手の様子をうかがって、

相手が喜んでいれば、私も一安心で。。。。


これって、両親との関係だ、、、、、

小さい頃、親が本当に怖かった。

権力者。


自由への扉がまたひとつ開いた

マハラジの記憶に関するところを読んだ。


私は夢に影響されることが多く、

高校生の時から夢に出てきた同級生を好きになったりしていた。


夢と過去の違いって、あんまりないかもしれない。

ただの記憶。

違うとすれば、「実際に起きた」とぺタっと紙を張っているかいないか。

でも、頭の中でどんどん脚色されるから、「起きたこと」だけを記憶しているというよりは

「起きたこと+解釈+感情」を記憶しているのかな。


本当に「今」しかないんだな。


ちょっと、怖い気がしてきた。


それだけ過去をベースに生きているのかな。

過去がないと、寂しい気がするもん。

死んじゃったお兄ちゃんやハニーやおばあちゃん。

でも過去は今は起きていないけど、記憶として今起きているのかも。

亡くなった家族を思うと、温かい気持ちになるし。

実際には、生きている両親だって、今は目の前にいないわけだし。


そう思いめぐらすと、生きている人って大切。

生きているからこそ、「今」を一緒に体験できるんだね。

何日か前からマハラジの「I AM THAT」を読んでいる。


よく「私の考えは私ではない。私の身体は私ではない。私はいない」という内容を聞くことがあるけれど、

「へー」ぐらいにしか思っていなかった。


マハラジは、「私とは、私ではないものを除いたもの」みたいなことを言っていた。

つまり、「知覚」できるものは「私」ではないらしい。

身体、考え、感情、仕事、性格、能力、才能、、、、、、みんな私じゃない。


それを深く味わっていたら、なんだかおかしかった。

認められるために頑張って、それで認められたとしても、「私」じゃないんだよな。

「私」に付随する何かなのかもはしれないけれど。


前に誰かが言っていた。

「自分じゃないものはコントロールできない」って。

確かに、身体も100%自由にはなっていないし、

考えも感情も能力も、コントロールしようとしているけど、できない。

そもそも「自分」じゃないから思い通りにはできないのだ。


私ってなんなんだろう・・・・・・