哀しいタイトルであります。

家康は自分の寿命を睨みながら、生きているうちに豊臣家を根絶やしにしないといけないと
悟っていました。
息子たちを見ていると、豊臣家に丸め込まれそうなお人好しと、奸智に長けてはいるが人望
がないため大勢を敵に回して滅ぼされそうなやつばかり。
自分が始末をつけなくてはと決意したのです。
だから、手段を選ばなかった。
毒殺もすれば、裏切りも平気。
徳川方が三の丸の堀を、大坂方が二の丸の堀を埋めると決めたのに、突貫工事の徳川方は、
三の丸の堀を埋め終わると、戦で邪魔になる周囲の家並もぶち壊し、二の丸の堀までどんど
ん埋めてしまった。
(外堀の約束が内堀まで、というのは二の丸の堀が内堀っぽいため)
当然、豊臣方は激しく抗議をします。
なぜなら二の丸の堀の埋立てをのんびりやって時間稼ぎをしたかったですし、二の丸の堀は
当然ながら、三の丸の堀より心臓部に近く、極めて防御上重要な位置にあります。

二の丸の堀を埋めた時点で、家康は勝利をしっかりと予感できたでしょう。
大坂城も堀がなければただの立派な建物でしかない。

ここで問題は二つ。
1)本当に二の丸の堀まで埋められるのか
2)(埋めたあとで)あからさまな詐欺行為を正当化することができるのか

1)は大坂方の油断を巧みに突きました。
大坂方が臨戦態勢のままだったら、二の丸の堀を埋め始めたところで見咎めて、「裏切り行
為だ」として人夫に矢を射掛けるくらいはできます。
家康のことですから、「堀を間違えた。攻撃するとは乱暴すぎる」とか言って逆に攻めてき
たかもしれませんが、二の丸の堀と周辺の構築物が健在ならまだ戦えたでしょう。

しかし、見咎める者もいなければ、実力で妨害する者もいなかった。
できなかったというのは言い訳ですし、使者や書状で家康に抗議を激しく続けたというのは
甘えた言い訳です。
結果がどうなったかはご存知のとおり。
二の丸の堀まで綺麗に埋め立てられました。櫓とか門までぶっ潰されました。
まさに丸裸。
それでも大坂方は、抗議だけ。

2)はまさに、「勝てば官軍」ですね。
卑怯卑劣な行為でも、勝者にとっては正当な正義の戦いなんです。
頭のいい人が咎めるかもしれませんが、勝者は無視するだけで済むのです。
あとは世間が勝手に、理由をつけて正当化するものです。
秀頼に覇気がなかったとか、淀殿が癇癪持ちで人望がなかったとか。

光秀だって、蘇我家だって、言い分はあったでしょうけれど、勝者の残した歴史からは抹殺
されます。
政治とはこういう残酷な面があるのです。そして歴史となっていくのです。

今の日本は、まさに大坂方になるのか徳川方になるのか、という分かれ道です。
「遺憾の意」ばかりを表明している姿は大坂方に見えます。
五十年もしないうちに、日本国はなくなり、日本自治区とかになっているのかもしれません。

それでも、どんな卑怯な手を使われても、敗者になれば日本自治区が「正当な歴史」になる
のです。

「日本国と日本人はそれでもよく正しくあるべきで、卑怯なことはしてはいけない」という
のも生き様でしょう。
国民がそれを望むのでしたら、それが正しいのです。
たとえ日本自治区になったとしても。
民族浄化されたとしても。

要は、そういう運命さえも受け入れるのか、ですね。
日本文化には「滅びの美学」というのもありますからね。

さて、極端な話をしてきましたが、笑い事では済まない時代になってきました。
三の丸の堀が「接続水域」なら二の丸の堀が「領海」でしょうか。
いつまで「遺憾の意」とやらで抗議を続けていくのでしょうか。
そういう政治手法しか取らない政府でも、清く正しければ満足なのでしょうか、皆様は。
私は御免ですが。