午前中は互いの個性についてディスカッションする。

Nさんの絵は素朴だけど大胆、情熱が秘められた感じがする。
Aさんの絵は個性的。彼女にしか描けない感じ、迫力がある。
私の絵はピュアーで優しいそうです。表現者だよねって。まぁ~うれしいですね。

あと、おぎぴしかり、とあるベーシストしかり、ミュージシャンズに共通して言えるのは迷いがないそうです。 間違ったらどうしようという躊躇が一切無く、いきなり強い線を描く。 思うに、日常的に演奏する中で間違いやハプニングをものともせず、表現の一部にしてしまおうっていう気概であったり、 まあ、出した音は取り消せないのが普通だし怖がっていられない。 そういうとこも関係してるのでは、と私は思う。

何も考えないということ、身体で描くということ、抽象画とはなんだとか、絵画モデルの気負い、 話はそういう事にも及ぶ。

午後から鉛筆で描く。 私はデッサンなど西洋絵画の手法をまったく知らない。 何も考えずに描く。

前々回にはじめて鉛筆で描いた絵がある。真ん中の一枚。

光の音 闇の音-110607_1612~02.jpg


デッサンの手法をしらず、そのままなんも考えずに描いた私の絵は、昔の韓国の人物画と構図がそっくりだったそう。あと日本画とか。

『おおお普通に描くとやはりこうなるのか』 と、画伯は大変興味深かったようである。 ちなみに左端の絵はデッサンを長く勉強している人の絵。 捉え方の違いがよくわかる。

よく知らないのだけど、デッサンは対象を光と影で捉えていく。
『デッサンとか経験していると、捉え方描き方にそういうバイアスがかかるのですか?』
。。。めちゃめちゃかかるそうです。 良い悪いではなく。いちどかかったバイアスは、意識的に操作しないとなかなか抜けられない。そういう操作を試みた近代画家はたくさんいるという。

わたしはよく、描いた絵がやけにマンガっぽくなるな~とぼやいていたんだけど 日本人の顔は平面的なのだから、普通に描けばそれが当たり前なのだという。

似たような話を思い出した。

ダンサーの山田うんさんのワークショップに参加したことがある(踊るほうで)。 ダンスの経験は問われない。素人もいれば、セミプロのようなひともいる。 うんさんがいうには、バレエやほかのダンスをやってた人は、どうしても型があるんだという。 きれいに見せちゃう。良い悪いではなく、バイアスがかかる。 そこをニュートラルに戻したいときは、やはり操作がいるんだと思う。

音楽もそうかな、そうだよねーと思った、今日のアトリエでした。
去年、大分県中津江村でのミュージックキャンプでご一緒して以来、コンテンポラリーダンサーの山田うんさんとキャンプに参加していたメンバーを中心に、定期的にフリーの即興セッションをしています。

先日も新長田のダンスボックスという場所でセッションしました。
ミュージシャンはフルートの上野賢治氏、パーカッションのげんともりぞー、ギターおぎぴ、ボイス鮎子とくまこ、わたくし。ダンサーはうんさん、じょこぴー、じゅりちゃん、ほか4名?だったかな。

そのときのディスカッションで印象的だったというか、気づいたのですが、わたしたちはダンサーの情報を見ているんではなくて聴いています。ミュージシャンには音という言語、ダンサーにはダンスという言語、それらをまったく同じ種類の情報として『聴いて』いるのです。さらに言えば、空間を聴いているともいえます。聴いているし、皮膚感覚で感じてもいます。

わたしはクラシックのミュージシャンです。本多はフリーインプロなどやり始めたようだ、クラシックに見切りをつけて、奇をてらったことをしようとしてるのか??。。。そういうわけではありません。

ここにギターおぎぴのかいた日記 があります。

その中から:
*****

ボクが心の底から思っている感情は、もっと交わりたい、ということなんだということが確信に変わりました。うわべだけでも(一部は)それで済んでしまうインスタントなスタイルのジャムセッションのシステムを、我々は(それが便利であるがゆえに)作り上げてしまい、そのスタイルがあたかも音楽であるかのように錯覚してしまっている人数が増えていると感じています。

素晴らしいアーティストがたくさんいるのに、インスタントな音楽学校教育が溢れているせいなのか、音楽を記号化したコードを理解する(それもほんの少し)者だけが暗黙の了解のもと参加できてしまうというタイプのセッションは、数多くありますので、ここでは、『原始的でありたい』をキーワードにします。

クラシックの分野であろうとJAZZの分野であろうと、というか譜面がオタマジャクシメインなのか、コードメインなのか、TAB譜メインなのか、和楽器譜面メインなのか、などの譜面という隔たりを消して、表現にのみ集中して、即興で作曲(とまではいかずとも小作品)をフリーセッションで作り上げることは可能です。

*****

まさに、そのとおりだとおもいます。これはクラシックにも大いに言えることだとおもいました。
クラシックには決まった楽譜があり、そのとおりに演奏します。
でも、だからこそ予定調和であってはならないとおもうんです。
予定調和で何が面白いというのでしょう、やる意味がありません。

決まった音があるからこそ、いかに、あたかも今!!!生まれでたかのようなフレッシュ感を持って命を吹き込むことができるか、それに尽きるとおもいます。100年以上、何千万回と演奏されたであろう作品でも、あたかも今この瞬間、生まれでたかのように。。。

フリーインプロはそういうフレッシュな感性・アンテナを研ぎ澄ませてくれる。先述したように、空間すべてを全身で聴く。それが決められた譜面を演奏するときにこそ、どれほど生きてくるか。。。奇をてらうどころか、あらゆるジャンルの表現の必修科目であり。、もっともベーシックなところなのではないか。わたしはとても意義を感じています。だからこそクラシックの仲間にもぜひ参加して欲しいのです。


というわけで。
以下、見学だけでもOK。
指一本うごかすだけでもダンス。
ひと声発声しても、足を踏み鳴らしても音楽。沈黙も音楽。
ぜひお越しくださいませ♪


*7月22日(金)
【場所】新長田ダンスボックス
【時間】14:00~17:00くらい
【参加費】たぶん、なし。
【内容】山田うんさんのプロダンサー向けのワークショップのなかのコンテンツとして、ミュージシャンとの即興セッションをやります。

*7月29日(金)
【場所】伊丹オールウェイズ
【時間】20:00
【チャージ】1500円
【内容】フリーの即興セッション
【ホスト】gt荻野やすよし p本多千紘


$光の音 闇の音


6月25日金沢蛍庵でのコンサート終了いたしました。
みなさまありがとうございました。
カージーさん演出のとても素敵な空間で演奏することができました。
(うまく画像がアップできないのですが、、動画でごらんください)

前半はラヴェルの鏡、曲間でトークしながら演奏しました。
いつもと勝手が違って新鮮でしたが、分かりやすくてよかったという声もいただき、よかった、、、。

後半はバルトーク、バッハと、自作曲、庵主上野賢治さんの作品を演奏しました。
オリジナルに関しては、思いつきのまま、書き弾き、でございます。
そんな未熟な作品ですが、もっと聴きたいという何人かの声もいただきまして、
ああ、、ありがとうございます。


【セピア/本多千紘】




【光のふね/本多千紘】




【影の城Ⅱ/上野賢治】




すてきなカージーさんのキャンドルホルダーたちは大人気で、みなさん写メしまくり~の。
思い悩んで、選び抜いた作品を購入される方も。
わたしも2つ、うちにお迎えすることになりました!

光の音 闇の音
光の音 闇の音
光の音 闇の音