来週の仕事のために、ドヴォルジャークの「新世界」のピアノ版を弾いています。
第2楽章の旋律、「遠き山に日は落ちて」で知られるそのメロディ、
大きな天災の爪あとに、ひっそりと染み渡っていくような錯覚を覚えます。
離れていても、聞こえない音、想いは届く。。。
テレビに映る信じられないような光景に、ただただ涙がこみあげて、
恐怖、同情、不安、絶望感、無力感に手綱を渡そうとしていました。
1995年に父と瓦礫の中を果てしなく歩いた、神戸の光景を思い出して、動悸がして。
でもいろんなひとたちの書き込みを見ていて気がついた。
被災していない私たちがめげてしまってどうするのだ。。。
みんなの気持は見えない世界でつながっている。
自然からの大きなメッセージに真摯な気持で向き合うこと。
生かされている日々の営みに感謝をすること。
心を恐怖と不安に明け渡さない、 ニュートラルに現実と向き合って、
いつも海の底のように平和で静謐でいること。
私たちの全体意識が、未来を決めるのかもしれない。
自然から、試されているのかもしれない。
みんなでがんばるとき。
きっと誰も無力ではない。