先日、ようやく読み終わりました。
もう何十年も前の本になるのですけど、本当に心に刺さりました。
『アフガニスタンの診療所から』
あの、中村哲先生の本です。
亡くなったなんて信じられないことでしたが、過去何十年かで、今が一番危険な状態だと仰っていた事が現実になってしまって、本当に残念でした。
ずいぶん前から気になっていたのですが、あまり気軽に手に取れるような本ではないような気がして、ずっと手に出来ないまま、ここまで来てしまいました。
ようやく読めました。
私が上手く言葉に出来なかったことが、全て書かれてありました。
今でないと、駄目だったんだなあ。
今、読むことが出来て、本当に良かったです。
これほど徳の高い人が、本当にいらっしゃるんだなあ。
自分が磁石のようになって、素晴らしい人が周囲に集まってきていたんだなあ。
どれほどの人が救われたんだろう。
中村先生自身が、どれほど豊かな人生だっただろう!
亡くなったのをニュースで見た時、アフガニスタンの人々が、日本人以上に号泣していたのが、特別印象に残っています。
あの地域で、これほど慕われている外国人が、いったいどれほどいるだろうか?
これを読んで、私の本当の願いが、とてもよく理解出来ました。
実は私、安心安全で、経済的に豊かで、誰が見ても幸福だと分かるような、典型的な幸せな人生というものに、喉から手が出るほど憧れていました。
でも、どうしても手に入らなかった。
それはつまり、それは本当に望んでいる人生ではないから、なんですよね。
そんな事に、なにほどの価値がある?
そんな事がしたいのなら、別に地球でなくてもいいのではないのか?
地球という星の真価は、全く別次元のところにあるのではないのか?
私は、救いたいのだ。
学びが複雑化しすぎて、混乱してしまっている魂たちを、なんとか救いたい。
誰でも出来ることではない。
だからこそ、ぬるま湯のような人生では意味がない。
自分自身が傷だらけになってはじめて、もがき苦しんでいる魂の気持ちに寄り添えるのだから。
人間を救えるのは、人間だ。
人の心の傷を癒せるのは、人の心の暖かさなのだ。
神仏だから偉いわけではない。
傷ついている人の横で、実際に背中をさすれる人間にこそ、価値があるのだ。
傷ついてボロボロの自分のまま、傷ついている他の人を救うことは、出来るのだ。
そういう人間になることが出来るのが、この地球なのだ。
他の星ではなく、この地球だからこそ、魂の格を確実に上げる事が出来る。徳を積む事が可能になるのは、地球だからなのだ。
この地球で傷つき苦しんでいる魂は、救う価値がある。
そんな、ガラにもなく激熱な感情が込み上げてきて、本当に胸がギュッと詰まりました。
こういう生き方こそが、本当に私の理想なんだなあ。
中村先生が、うらやましくすらある。
これほどの人生は、なかなかないのではないだろうか。
しかし、私はそういう事を終わらせようとしている。
だからこその、今なのだ。
だって、本当にやりたかった事は、やり終えたのだ。
その過程で出来た傷は、そのままには出来ない。
いずれ、塞がなくてはならない。
それが、今なのだ。
私の全てを賭けて成し遂げたことは、神仏のみぞ知る。
それでいい。
公開するつもりもないし、必要もない。
全ては、終わったのだ。
全く新しい次元へとシフトしていこう。
何かと戦う人生は、終わりだ。
最終的に、自分が傷つく。
その傷は、自分の責任でしかない。
他人のせいには出来ない。
それなのに、他人の責任にしてしまうのが、人間という生き物なのだ。
そうではなく、まず自分と調和すること。
自分を傷つけることなく、生きていくことは出来るはずだ。
そうすれば、他人を傷つけることもない。
相手が傷つけようとしてきても、自分が調和していたら、傷つくことなど不可能になるだろう。
私の、真実の願い。
全てを終わらせて、新しく始める。
そのために必要なら、スピリチュアルでも心理学でも何でも学ぶ。
全てを終わらせる。
そうしなければ、新しく始められない。
何を始めるというのか?
魂にとっての、真実の救済を。
表面だけ飾り立てればすむ時代は、終わった。
これからは、剥き出しの魂で生きていく時代。
丸裸の魂で、生きていく時代になってしまった。
小さいなら、小さいまま。
大きいなら、大きいまま。
いびつなら、いびつなまま。
ピンクなら、ピンクのまま。
優しいなら、優しいまま。
卑怯なら、卑怯なまま。
弱ければ、弱いまま。
ただ、そのままで生きていく。
この地球で、そのまんまで生きていくのだ。
まず、ありのままの自分を知ること。
でも、この地球で、ありのままの自分を知るということは、どういう事なのか?
それは、真実に目覚めるということ。
それは、物事を客観視出来るということ。
それは、悟りをひらくということ。
それは、アセンションするということ。
おそらく、他にも色々な表現があるのだろう。
でも、自分だけの答えが絶対にある。
私達は、絶対に知っているのだ。
ただ、思い出すだけでいい。