終戦前常盤遊園地の場所に有った海軍通信学校に宇部の若者が集められ、陸軍小月航空基地の作業に連れて行かされた。十七歳だった父も、松林の奥に戦闘機を引っ張って隠した。道を歩いていると、米軍機が機銃掃射をしてきたので、石の門柱の後ろに隠れると反対からもう一度機銃掃射をしてきたので、もう一度反対側に隠れたと言っていた。仕事場に来ていた坂野さん(大正十五年生れ)飛行場の壕から、飛行機が離陸するのを見ていたら米軍機が急降下して飛行機が撃墜された。本当に可哀そうだったと言っていた。

 米軍の航空写真の資料を見ると、当時の掩体壕の位置が、ドライブイン南国の道路西側に掩体壕二基が有ったと記されていました。