山陽道、石州道の要衝に本陣三原屋が藩によっておかれていた。文久三年(1863年)下関砲撃事件を受け幕府より詰門使者、幕府使番、中根市之烝が藩主敬親に謁見に訪れたが体調不良と面会をのばしたところ、血気盛んな諸隊士が三原屋に切り込み随員三名を切り殺した、中根市之烝も逃げ延びたが防府中ノ関海上で追つて来た諸隊士に切り殺される事になる。
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