戦跡探訪 山口 天花火薬庫爆破遭難者の墓 文久三年(1863年)長州藩は下関砲撃事件、馬関戦争の後藩庁を山口に移した。その頃萩にあった火薬製造所を山口の天花に移したと思われる。一の坂川の水流を利用した施設で場所はわかっていない。慶応三年(1867年)大政奉還の年に爆破事故を起こし十六名の犠牲者を出し、龍福寺の一角に諸隊士の墓と共に祭らている、戦死殉職者との扱いのようだ。山口製造の弾箱に明治十年(1877年)と有りこれは西南戦争の年でその頃山口では火薬製造があったようだ。