イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
イメージ 2
 昭和十八年、厚東立熊に旧陸軍航空廠の弾薬庫が計画、着工され終戦まで運用されました。大阪に有った旧陸軍航空廠の弾薬庫より山陽本線厚東駅北側の山中に弾薬庫、引き込み線、を厚狭中学校、小野田中学校、宇部工業の学徒も動員し建設されました。陸軍弾薬庫鉄道床跡の碑の東側に守衛所、川を渡った高台に隊長宿舎、北側1キロにかけ弾薬庫が造られ隊長、藤田大尉の元大量の弾薬が運び込まれ貯蔵されました。終戦までに引き込み線は完成を見ず、進駐軍により弾薬は海中投棄されました。近くの田に軽トラで来ていた人に聞くと、東側の山沿いに防空壕がたくさん有り今も山の木の下に有るそうです。上の山の堤には小銃弾が投棄され、堤で泳いでいて油紙に包まれた銃弾を見つけた事が有ると言ってました。横穴式弾薬庫か防空壕が県道横に有り、今もその威容を留め静かに蝙蝠の住処となっていました。
イメージ 1