大村能章は明治二十六年(1893年)防府多々良に米穀商の家に生まれました。横須賀海軍軍楽隊に入隊音楽を勉強しました。除隊後、家業の米穀商を継ぐも不況の影響で倒産。鉄道に務めながら活動映画の弁士を務め楽器を演奏しました。音楽の道に進もうと上京作曲家のを目指しました。昭和六年日本歌謡学院を設立後進を指導。昭和二十二年日本音楽著作権組合を設立現在の歌謡界の基礎を造りました。作曲した曲は数千を数え、麦と兵隊、作曲者不詳と言われていた同期の桜も大村能章の作と現在では言われています。大村は最後まで同期の桜を作曲したとは言う事は有りませんでした。同期の桜がこの戦時に多くの影響を与え自然発生的に生まれてきた歌だった為ではないでしょうか。


