文久三年(1863年)五月長州藩は米商船ベンブローグを砲撃攘夷戦を実施し翌六月報復に来たアメリカ、フランスの軍艦に長州軍艦は撃沈砲台も破壊の被害を受けた頃、藩の正規兵の撰鋒隊の宿舎の教法寺に奇兵隊の宮城彦輔が押しかけ逃げ遅れた病床の撰鋒隊士を切り捨てた事を教法寺事件と言います。藩は事態の沈静化をはかり宮城彦輔に切腹、高杉晋作に奇兵隊総督を罷免、小郡に奇兵隊を移しました。長州藩内部にも政論、主張の違いは大きく外敵、内憂を経て藩論を固めて行く事になりました。
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