大田廠舎から登った正面の山が松下山(演習場は地点表示の為固有名が付けてある、北側の山が日吉山、豊臣秀吉が日吉丸と言った事から来ている秀吉の最初の家来が松下某と言ったらしい。)、頂上に石碑が遠影出来る。大正三年七月十五日、特命検閲野外演習において、八名の兵士が日射病において殉職した。小隊検閲は中隊長が検閲官、中隊検閲は連隊長が検閲官、特命検閲とは将官以上の上級者による検閲になる。台上は低い草原で日差しを遮る物もなく、特殊地形の為水はまったく無かった。若い体力の有る兵士でも、日射病は大変な危険をもっている。ここは演習場に入ってすぐ、八名の犠牲者が出るなど思いもしない場所でした。



