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 本山地区の石炭は、江戸後期嘉永年間。沖の石炭露頭を干潮を利用して採取した事が記録させています。現代も海岸に石炭片が打ち上がります。
明治20年宇部の渡辺佑策が本山炭鉱組合を設立以来、宇部興産が昭和三十八年閉山するまで採掘されました。最盛期鉱員1500人を数え、社宅、病院、映画館もあったそうです。斜抗坑口以外、当時を示す物は残されていません。
 
太平洋戦争緒戦、連合国捕虜は35万人に及び35000人が国内で労働させられました。美祢の大嶺炭鉱、宇部の沖の山炭鉱、東見初炭鉱、小野田の本山炭鉱、大浜炭鉱で働いています。本山炭鉱には482人の捕虜がいました。
何も無い草原だけ、捕虜たちがいた跡はありませんでした。