昨日から散歩をすることにした。

コロナで仕事が大幅に減り、日中家にいることが多くなったせいか、体の調子があまりよくない。

病気ということではなく、「ベストパフォーマンスが出ない」というたぐいのものだ。
具体的には、「ぼんやりした眠気が常にある」「足がひどく冷える」の二つが原因だ。

家で作業をしていても集中力も気力も持たず、一眠りしても、起きてからしばらくはボーっとしている、ということが週に何度かあった。

これまでの俺自身の経験から、こういう時は運動不足であることは知っていたから、室内でできる筋トレの他、ウォーキング代わりにと足踏み運動もしていたのだが、それほど効果はなかった。

足が冷えるというのも今年になってからのことで、今年の夏、いくらエアコンをかけているとはいえ異常な冷え方で、体は熱いのに足だけが集中して冷えていた。夏場にもかかわらず、湯たんぽの購入を本気で検討した。

そんな中、先週駅前の家電量販店まで買い物に行く用があり、片道20分程度の道を歩いていき、家についてからずっと、いつもの倦怠感、眠気が起こらないことに気づいた。

この経験から、室内の運動だけではだめで、実際に歩くことが必要だと見当をつけた。

そこで昨日軽く、用もないのに近所を散歩してみた。かなり効果があったような気がした。突然眠気にも襲われないし、足の冷えも嘘のようになかった。ここ最近の冷え込みにもかかわらず、である。

医学的な知見は不明だ。固い地面を歩くことが足を刺激していいのか、日光をじかに浴びることがいいのか、運動している時間の問題か。
なんにせよ、ある程度の時間外を歩くというのが良さそうなので、近所を散歩することにした。

それにしても、そんなことを考えている自分に笑ってしまう。
今の俺は後は死ぬしかないというくだらない人生を送っている。そんな人間が健康に気を使っている。
もちろん、長生きには興味はなく、あくまでその日を快調に過ごすための行動だが、それが長寿にもつながるのかと想像すると、滑稽である。いったい何のためなのか。

強いて言えばまだ死んでないからとしか。

それとも、体がだるいことを嫌い、ベストコンディションにすることを望んでいるうちは、まだ生きることを夢見ているとでもいうのだろうか。何を目指しているのか自分でも理解に苦しむ。

ふと、「デッドマンウォーキング」という映画を思い出した。ここで言う「デッドマン」は死刑囚のことだが、俺のやっている行為も「デッドマンウォーキング」だろう。

歩きながら、自分の頭の中で、自分の歩いている姿を想像し、その映像にフィルターをかけてみる。鮮やかな背景に薄暗くモノクロでかすれた俺の後ろ姿。実に安っぽい。

そんな滑稽な散歩を、今後も続けていこうとは思っている。

そうだな、少なくとも、飽きるまでかな。