モラルハラスメントを受けた。

と言っても、あくまで疑惑にすぎず、専門家にでも聞かせれば全然違うことかもしれないが、俺がネットなどで聞きかじった情報から察するに、比較的軽度な―そんなものないかもしれないが―モラハラに思えた。

その人は、同じ職場の人間で、年の頃は70は過ぎているように見えるじいさんだ。

彼の特徴は、とにかく「人の話を聞かない」。
思い込みが激しいのか、認知機能に問題があるのか理由は不明だが、結果として人の話を聞いていない。

例えばこんなことがあった。ある人とそのじいさんが、何か仕事について雑談をしていた。どうやら最近あった夜勤について話しているようだった。ある人はこんなことを言った。
「自分、昨日は朝5時までやってましたよ」
するとじいさんは、彼をこう怒鳴りつけた。
「うるさいな!」
端で聞いていた俺も、話していた当人も、この突然の激昂に呆気に取られた。
そして彼は、弁解するように―その必要はないのだが―「そういうことがありました、って言っただけですよ」と言った。
それに対するじいさんの返事は

「そんな文句ばっかり言うなら辞めろ!」

果たして彼は次の日からその現場には来なくなった。

その代わりに来た人に対して、彼は嬉々としてこう言っていた。

「俺は言ってやったんだよ!そんな楽な現場ばかりではないぞ、って」

そのじいさんの頭の中では、「仕事に文句ばかり言っている甘えた若者に社会の厳しさを教えてやった」とでもなっているのだろう。

もはや妄想甚だしい。

一応言っておくと、その彼は普段から文句を言う方ではない。抱えて爆発させるタイプなのかもしれないが、少なくとも口にはしない。
仕事中に「大変ですね」俺がそう声をかけても「大丈夫ですよ」と言ってけろりとしている。
むしろその程度で文句と言うならじいさんの方が多いぐらいだ。「腰が痛い」だの「今日は寒い」だの毎回のように口にする。

そのじいさんが人の話を聞かないのは、他人が文句言っているとか仕事の話とか、そんなことまるで関係なく、日常の雑談でもしょっちゅう起こる。
話がまるでとんちんかんな内容になるので覚えておくのが難しいのだが、一つ覚えている会話がある。

俺が休憩していると、その部屋にじいさんが入ってきた。
じいさんは俺に対して一袋五個入りの小さなアンパンを一個勧めてきた。
俺はたまたまその直前に食事をし終えていたので、「食べたからいいです」と断った。それでも勧めてきたので改めて「食べたからいいです」と断った。
それでも勧めてきたので(まあ、小さいパン一個ぐらい)と思って仕方なく食べることにした。
俺があんパンを口に入れると、じいさんはこう言った。

「何か入れておけば違うから」

(こいつ…俺が「食べた」と言ったのを聞いていないのか…?!)と驚愕した。

こんな具合で、人の話を聞いていないことが多々ある。
俺が彼を決定的に嫌いになったのも、この人の話を聞かない性質が原因だ。

俺が現場の上長とちょっとした会話をしていた。
俺がその人に対して
「今日仕事これだけなのにこの人数って贅沢ですね」
と言い、
上長が
「そう、こんなに必要ないって言ってもなぜか聞き入れてもらえないんだよ」
と言った具合に会話を広げていっていた。
すると後になってそのじいさんが、俺に近づいてきてこう言った。

「仕事をしてどうにか生活できている人もいるのだし、我々にそんな権限ないのだから『キャンセルすればいい』なんて言ってはいけない」

一体どうしてそうなったのか?
狐につままれたような気持になり、腹も立ったが、相手はこのじいさんだ。反論してもそれが通じるとは思えなかった俺は、「はい」とだけ言ってその場をあとにした。
それ自体はある意味ではいつものことなのだが、後日あった時に、その現場を最近ではずっと一人で担当させられているとまたも文句を言っていた。「へ―大変ですね」と俺が言うと、へらへらした笑顔を浮かべて

「お前が余計なことを言うから!」

と責めてきた。
本人からすれば、きっと、他人のミスを”いじった”つもりなのだろう。だが、そんなことを言った事実は存在しないのだから俺からすれば腹立たしいだけだ。そのじいさんに対して言いようのない気持ちの悪さを感じるとともに、反論しなかったことを後悔した。そして、「俺、こいつ嫌い」と結論付けた。

そのじいさんは、一事が万事この調子で、人の話を聞いていない。他人に厳しく自分に甘い。
きっと本人からすれば、正しく怒っているつもりなのだろうが、正しく話を聞きとれていないし見えてないから、他人からすればただわけもわからずキレているだけでしかない。

彼の思考回路がわかるようなエピソードはまだある。

19:45に上長が来るという話だった。
そこで彼は「早めに行って待っているのがいい」と言い、19:30には待ち合わせ場所に二人で待っていた。

すると、35分を過ぎたあたりから「遅いなあ」とぼやき始め40分ごろには「やだなあ、こうして待ってる時間が一番嫌いだよ」と言い出した。

この発言に驚きあきれてしまった。
自分が勝手に「早く着くのがいい」と言って早めに来て、本来の待ち合わせ時間まだ5分前だというのに「遅い」と文句を言われてしまってはたまらない。

このじいさん、友人との待ち合わせでもそうなんだろうか?

こんな思考回路なら、さぞかし他人に文句ばかりだろう。

実は、かなり前から違和感はあった。

はじめて一緒に仕事をしたのは2年程前だろうか。彼の仕事の指示は他の人と少し違った。これからやることを指示する、俺が何かやっていないと指示をする、それは当然だが、俺が何かをやろうとするとそれを制して「やらなくていい、こっちをやって」と言ってくる。
しかもそれは、やってはいけないようなことをやった場合ではなく、誰がやったっていいようなことに対してさえそうなのだ。例えば、運ぶべき荷物が二つあるとして、俺が一つを運ぼうとすると「やらなくていい。こっちを持って」と言ってくる。
どちらがどちらを持とうと仕事にはなんの支障もない。ひとりが一方を持とうとしているのなら、自分はもう一方を持てばいいだけのこと。
しかし、決して他人の意向で話を進めず、自分の指示で進めようとする。

他の人からもこんな話を聞いた。

その人は、うっかり決められた休憩時間をオーバーし、戻るのが遅くなった。それを厳しく咎められた。それ自体は当然だが、次の休憩時に、その分少し早めに戻ることにした。しかし、今度はそれを咎められた。「早すぎる」と。

やらなければ文句を言う、やっても文句を言う。やらないとやれと言い、やろうとするとやめろという。
その上そこに、「事実を正しく認識出来ない」という病理まで加わるのだから付き合いきれない。

ちなみに、こんな有様だから、このじいさんは多くの同僚から「あいつと同じ現場に入れるな」と言われているらしい。ちなみに俺も同じことを会社に告げた。驚いたのは、取引先の一部の人にも嫌われているらしい。じいさんは、取引先に対する態度は、俺達に対するものよりはるかに丁寧で愛想がいい。それでも嫌われたって、いったい何をやったのか?

こんな言動を繰り返すので、「あれ?これってモラハラなんではなかろうか?」という考えが最近よぎった。

もちろんもっとひどいモラハラがあるのは知っているから、まあ強いて言うならプチモラハラだろうか。

暴力もわかりやすい暴言もないが、「他人を認めない」「自分の思い通りにしようとする」という点で共通しているように思える。

最近、「Uさんと出会って、シングルマザーになった話」と言うエッセイ漫画を読んだ。
このUさんという(元)旦那は、俺から見ればあのじいさんと同様にモラルハラスメント的であった。

妻の意見を決して認めず、ただひたすら我を通す。

俺が最も驚いたのはこんなエピソードだ。

彼が奥さんと離婚したときに、彼女に向かってこう言ったそうだ。

「俺、あなたのこと下に見てた」

俺は結婚とは尊敬できる人とするものだと思っていた。というより、そうじゃなければひとつ屋根の下で生活するなんて、俺には不可能だ。
下に見ている人と生活なんて考えただけでぞっとする。
これは言わば負け惜しみのようなものかもしれないが、もし事実なら、支配の対象として見ていたのではないだろうか。

それなら、彼の態度もまたプチモラハラといってもいいのではないか。

余談だが、Uさんも職場のじいさんも、一種の発達障害に思えた。認知、思考に欠陥があるように見えた。
可能なら誰かに調べてみてもらいたい。

そこでふと思ったのだが、モラハラというのは案外身近にあって、そして失敗しているのが大多数なのかもしれない。

最近、5歳男児が餓死した事件で、その母親がママ友に支配されていた関係性が注目された。参考
少なくとも俺個人は「モラハラ」と言えばそんな風に、一方がもう一方を完全に支配する―そして互いに破滅する―ものだと思っていたが、「Uさん」やじいさんのように、軽度なものもあり、そしてそれは完全に支配しきる前に、彼女や俺のように対象が逃げて終わっているのかもしれない。

そう思えば、「人を支配しよう」などと言う試みはたいていの場合失敗に終わり、うまくいったら例の男児が死事件のような悲惨な結果になるのだから最初から考えない方がよほどいいということになる。

人は、大なり小なり、他人を支配したいという願望があるように思う。
他人が自分の思い通りになってくれればうれしい、と言う気持ちを持ってない人などいないのではないだろうか。
誰だって、自分が欲しいと言ったプレゼントを買ってくれれば、面倒な仕事をやってもらえれば、自分が言いつけた禁止令を守ってくれれば、それはうれしいことだろう。

だからと言って、過剰にそれを期待して、表に出してしまえばお互いにとって利益を生まない。

「人は思い通りにならないもの。なったらラッキー」

ぐらいの考えでいる方が、生きやすそうだ。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
よかったら、下のバナーを1クリックお願いします。
いつもクリックしていただいている方、ありがとうございます。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村