コロナは一向に収束する気配を見せず、感染は拡大し、政府はGoToキャンペーンの停止を決定した。参考記事→GoTo停止、キャンセル24日まで無料

そんな中、最近世論が二つに分かれていると感じる。

平たく言うと「自粛すべき」「経済を回す」という2つだ。

GoToが見直しされると決定されたというときには「当然」と言う意見がヤフーニュースにはあふれた。

だが、その見直し発表の前には「#GoTo中止に反対します」というハッシュタグがトレンド入りし、また、テレビ朝日のコメンテーター玉川徹氏が「緊急事態宣言を出した方がいい」と発言したらツイッターや、それを報じたヤフーのコメントにも否定的な意見があふれた。

緊急事態宣言が出されたのは半年ほど前で、その時も批判が出たが、それは「出すのが遅すぎる」と言うものだった。

今年の話なのに「隔世の感」と言いたくなるような変化だ。

さて、そんな中気になるのが、「自粛すべき」「すべきでない」と言うそれぞれの主張の熱狂ぶりだ。

上記の炎上の件もそうだし、また多くの方が知っているだろうホリエモンがマスクの着用を求めた店主を「コロナ脳」などと罵り、自身も、またその餃子店も炎上することとなった。参考記事→ホリエモンVS餃子店のマスク騒動、店主が憔悴しながら告白した「事の発端」

どっちであっても非難されるこの状況は見ていて気持ちのいいものではない。

その中で、ちょっと私見を述べたいと思う。それが少しでも鎮火させる冷水になることを願って。

いわゆる「コロナウイルス」つまりCOVID-19だが、俺が調べた限りでは、まだまだはっきりしていないことも多く研究中のものも多い。

最近でも、当初は効果が疑問視されていたマスクにも、効果があるという実験結果が出た。

詳細は専門家にお任せ、と言う状況なので、一応山中伸弥教授が新型コロナについてまとめてくれているものを紹介しておく。

山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信ー証拠(エビデンス)の強さによる情報分類

これ以外で俺がわかるのは、非常に初歩的な情報だ。

まず、
人は未知のウイルスに非常に弱い。

人がインフルエンザなどに感染しても症状が出ない、もしくは自然治癒するのは人が歴史の中で、あるいは予防接種などの人為的な方法で、そのウイルスに対する抗体を手に入れているからだ。それを全く持っていないウイルスが体に入るというのは防弾ベストもつけていないのに銃弾を身に受けるようなもので、重症化しやすい。

次に、
ウイルスは変異する
ウイルスは人間の体内に入り込み、増殖する。それは人間が、生まれてから約20年ほどかけて成熟し、さらには生殖から約10か月かけて誕生するようなちんたらしたものではない。
一日、あるいは数時間でも何倍にも増殖することがある。
その中では、突然変異ということが何度も起こる。
そして、現れた変異体が、元よりも強い毒性を持つこともある。(とはいえ、めったに起こるものではないらしい)

以上が、俺の持っているウイルスの知識だ。これしかないが、基礎的で大事なことだと思う。

そうである以上は、

感染の拡大は最大限防止されるべきだと思っている。

「重症化するのは高齢者だけ」「コロナより交通事故で死ぬリスクのが高い」などと言えているのもそれは今だからであって、今後強毒化したさらに新型のコロナウイルスが現れるかもしれない。(その時はCOVID-20と呼ぶのだろうか)

コロナウイルスが騒がれ始めて1年程経過した。インフルエンザは毎年新しい型が現れ、その度に予防接種を受けたい人は打ち直している事情を考えれば、そろそろ今「新型コロナウイルス」と呼んでいるものが、変異したのしていないのという話題が出てもおかしくない。

そうなったとき、今投与が始まっているワクチンも効果がなく、新しい、そしてさらに厳しいウイルスとの戦いがやってくるかもしれない。

日本医師会は、最近にも「コロナ慣れしないでください。甘く見ないでください」と警告したように、彼らの警告は常に世間の認識よりも厳しい。それは彼らにこのような前提があるからではないだろうか。

だから俺は、まずは全力でコロナを封じ込めることが大事だと思う。

基本的には自粛には賛成派だったし、緊急事態宣言も一度となく必要なら二度三度と出して良いと思っている。

何だったら、俺は、緊急事態宣言が出たとき、今後このような自粛期間を定期的に設けていくのかと思っていた。

先のホリエモンもそうだが、作家の中川淳一郎氏やマンガ家の小林よしのり氏などは「自粛不要論者」であるようだが、彼らの発言を聞いていて思うのは、彼らには、そんな「変異ウイルス」の可能性を一切考慮せず、現状が必ず維持されるという前提でいるようだ。
残念ながら、その前提は成立していない。

中川氏はデイリー新潮の記事で(「外でもマスク」「ナゾの22時閉店」 なぜ日本人はこんなにバカなのか…)、東京で飲食店の営業が22時までに短縮されたことに触れ

「おいおい、22時までならコロナウイルスはおとなしいのかよ!」

と書いている。
さらに県をまたぐ移動が制限されたことに触れ、

「『コロナは東京から山梨には来ません(キリッ)』なんてこたーねぇだろうよ。」

と書いている。

中川氏はこの記事のタイトルになっているように、これらのメッセージは日本限定であるようで、「海外では別として」と前置きしている。

では、その海外に目を向けてみると、スウェーデンは彼ら自粛不要派が望むような、他国と比べて非常に緩い自粛策をとった。

その結果どうなったか?

GDPは減少し、失業率は増加し、新型コロナウイルスの感染者も死亡者も他国と比べて高い水準になってしまった。参考記事→新型コロナ対策「失敗」 スウェーデン国王が批判
命も経済も救えなかったことが明らかに…ロックダウンしないスウェーデンの戦略

結局、自粛しなかったことによって感染が拡大し、感染が拡大したことで、国民は恐れ、要請されるまでもなく積極的に外出を控えた結果のようだ。

逆に、感染者をほとんど出さず世界で唯一コロナの封じ込めに成功した台湾は、公共施設などでのマスク着用を義務化している。参考記事→ 新型コロナを封じた台湾、日本との「決定的な違い」とは

コロナウイルスには証拠の確かな情報はまだまだ不十分だ。スウェーデンに起こったことがどこでも起こるとは限らないし、台湾が出来たことがどこでも出来るとも限らない。

だが、現状スウェーデンを反面教師とし、台湾をお手本とするのは当然の判断だろう。

それなのに、特に根拠もなく「海外は別として」なんてサラッと書かれても、

「オイオイ日本でならコロナはおとなしいのかよ!」

とか

「『コロナはスウェーデンから日本には来ません(キリッ)』なんてこたーねぇだろうよ。」

と言いたくなる。

小林よしのり氏にしてもそうだ。

彼は以前「脱原発論」という作品の中で、「国が滅亡するリスクはゼロにしなければならない」という趣旨の発言をして、原発ゼロを訴えた。その彼がコロナウイルスによる滅亡リスクをゼロにしようとしないのは実に不思議だ。

個人的に自粛賛成派なのは、このように不要派の人の言い分に説得力を感じないからというのともある。

ただし、その主張を押し通そうという気はない。
なぜなら、俺の想定は最悪の事態であって、必ず起こるものではないからだ。

西村経産相の言葉では無いが、今後どうなるかは「神のみぞ知る」ものであって、確定したことは何もない。

凶悪化したCOVID-19 など発生せず、このままワクチンや特効薬のようなものが開発されれば案外あっさり終息するかもしれない。あるいは集団免疫を世界人類が獲得するかもしれない。

非常に都合の良い話のようだが、都合が良いからって起こらないとは限らない。
だからそちらに賭けて、「自粛不要」を国民が選ぶなら、それに従うことには何の苦痛もない。

その結果は「神のみぞ知る」なのだから。

結局これは「賭け金をどちらにするか」の話でしかない。

国民の命と経済どっちをチップに変えるか。

以前の緊急事態宣言は、経済をチップに変えて、命を救おうとした。
「一度賭けたのだからもう賭けたくない」と思うのも当然の心理だろう。

「コロナには集団免疫ができる」そうかもしれない
「いずれワクチンが作られる」そうかもしれない
「重症化するのは高齢者だけ」そうかもしれない
「コロナで死ぬより交通事故で死ぬ可能性の方が高い」そうかもしれない

ただ、

感染拡大によってコロナが変異し強毒化する
今のCOVID-19がCOVID-20に変わる
集団免疫は獲得出来ない
緊急事態宣言がなくとも感染を恐れた人が自粛する


これらの想像にも「そうかもしれない」をつけることができる。

だから、俺の言いたいことはこうだ。

どっちにしろ運ゲーなんだからそんなにギスギスすんなよ

どちらにせよ言ってることにの根拠はとぼしく、「きっとこうではないか」と言う主張に過ぎない。あとは「どっちが好きか」ぐらいでしかない。

にも関わらず、「警察」を気取って自粛にしていない人や店舗を中傷したり、マスクの義務化を「コロナ脳」などと揶揄するなんてバカバカしいことだ。

もう少しみんな落ち着こう。
「どっちを選んでもいい方向に行くといいね」そんな風に考えたっていいのではないだろうか。

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