ここ最近で最も強い感銘を受けた本はマシュー・サイド「失敗の科学 失敗から学習する組織、学習しない組織」だ。

組織に、人間に、人生に必ずつきものの「失敗」の原因を突き止めた、統計データや実証実験を、そこに起こったドラマとともに、硬質かつドラマチックな筆致で紹介している。

内容の濃さもさることながら、その文体も俺好みで読んでいて実に気持ちがいい。

だが、この本、日本では絶対にベストセラーにならないだろうな、と思う。

描かれている内容が、あまりにも日本的価値観とかけ離れているのだ。

最近、こんなツイートを見た。

【やめてほしい怒り方】 新社会人はこんな怒り方 されたら無視して良い

「ゆきほり」という方が登校していた漫画だ。詳細は読んでいただくとして、大まかな内容としては

「ただ怒るのではなく、適切な指導とともに怒ってくれ」

ということのようだ。

それは赤字で「『次に同じ失敗をしないための指導』をしてくださいお願いします」とあるから明白だ。

俺はこの主張、一理あると感じる。
ただ怒ったところで、なんにもならない。それが不注意なら、それはいつかどこかで必ず発生するものだから、むしろ、不注意が即損害につながらないようなシステムにすべきだ。

ただ、このツイートに対する反応は否定的なものが多いように感じる。

実は、俺自身も、一理あると思いつつ、「ああ、この人やっちゃってるな」とも思った。

人と議論する、あるいは意見を主張するときに決してやってはいけないことをやってしまっている。

①自分に非がある
この日本では、非がある側の意見は何を言っても無駄。「非がある人間は、自分が悪いのだからあらゆる反論をしてはいけない」ということになっている。
その件について意見を述べている時点で、どんなに正しくても受け入れられない。

②意見が建設的
失敗に対して日本は「怒れば治る」が基本的な考えだ。
合理的な判断をするなら、失敗を前向きにとらえ、その失敗が無くならないように、あるいはその失敗が起こっても損害にならないよう努力するのがよい。
だが、日本はそうじゃない。
日本人に失敗に対して建設的な意見を述べること自体無駄なことだ。だから聞き入れられない。

③本当に言いたいところとは別の部分に否定したくなるような記述がある
俺自身、ちょっとイラっとしたのだが「心の中でずっと馬鹿にしてました」とある。
こんなこと議論の中で絶対に言ってはダメだ。
「相手の意見を否定したい」という願望に支配された人間は、相手の意見の中に問題点をなにがなんでも見つけたがる。それがたとえ、主旨と違っていようとなかろうとだ。特に、その主旨に対しては反論できないときはなおさらだ。
この件では、「バカにする」ということは悪いことだとなっている以上、そこを非難してそして本来議論すべき点をうやむやにするというのは相手の意見を否定する常套手段なのだ。

以上の点をこの投稿主はやってしまっていた。否定的な意見が起こるのもほとんど当然だった。
実際、「人間性の問題だ。反省している態度を見せれば上司も変わる」という意見があった。

これは甚だ疑問だ。「反省している態度」を見せることが「次に失敗しないための指導」にどうつながるのかよくわからない。

失敗しないために必要なのは、「反省」ではなく「方法論」だ。それなのに、人間性がどうかかわってくるのだろう。

多分、この方はこの漫画の意見は「怒られたくなくって言ってるだけ」としかとらえなかったのではないか。
事実、この漫画に対する否定的な意見として「怒られたくないんだったら真剣に謝れ」式の意見も見た。

この方も「怒られたくないだけ」という見方しかできていないのだろう。
そして、そういう見方しかできないのは「失敗には怒っていればいい」という発想しかないからではないだろうか?

こういう人たちは、「失敗の科学」には以下のような記述があるのだが、その点についてどう思うのだろう。

問題は当事者の熱意やモチベーションにはない。改善すべきは、人間の心理を考慮しないシステムの方なのだ。

今でもユナイテッド航空173便の事故は航空業界の分岐点だと言われています。『ヒューマンエラー(人的ミス)』の多くは設計が不十分なシステムによって引き起こされるという事実を理解した瞬間から、業界の考え方が変わったんです。

罰則を強化したところでミスそのものは減らない。ミスの報告を減らしてしまうだけだ。


もちろん、すべてのミスに対してシステムの改善をどうにかできるわけではない。注意することでしか防げないミスもあるだろう。先の漫画の投稿者が忘れた写真というのが、どんな業種のどんな仕事なのか詳細は不明なので、どういう解決策が真に有効かはわからない。

さて、これらの言葉は、多くの日本人にどう届くだろうか?

おそらく、全く受け入れられず、頭の中にたくさんの疑問符が浮かぶか反射的に否定するだけではないだろうか?

マシュー・サイドはそのことを知ってか知らずか、日本の文化について約2ページにわたって書いている。

その部分を抜粋しよう。

一方、日本では(中略)複雑な社会的・経済的影響によって、失敗は不名誉なものとみなされる傾向が強い。

ビジネスが失敗して非難されるのは珍しいことではなく、非常に厳しく責任を追及されることも多い。

「日本では『機会志向(opportunity-driven)』の起業精神が著しく不足しており、それが過去二十年間の経済停滞の一因となっている」



これらはすべて多くの日本人にとって耳が痛いだろう。

そして、それ故にきっと耳を貸さないだろう。

これが日本でベストセラーになるはずもない。
その証拠に、以前も書いたが(唯言253 以前告知したバトスピイカサマ問題の進捗にまつわるおススメ本)発売2年してなお重版していない。

この時点でお察しというものだ。

願わくば、今すぐすべてが変われとは言わないが、失敗に対して正常な議論ができるレベルにはなってほしい。

そしていつの日か、この本がベストセラーとなり、やがて遠い未来の子供が「こんなの常識じゃんw」と笑う日本になりますように。

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