今回の一連の記事を読み、書かれていること以外で最もわかってほしいことをあえて一つ挙げるなら、

「自分の頭で考える」ことの危険性かな。

よく大人は子供に対して「人に聞く前に自分で考えなさい」などと言う。

だが、それははっきり言って無意味だ。

過去に何度か話してきたが、「考える」という行為は、きちんと、それ専用の知識を身につけて初めてできるようになることだ(その知識の代表格は「トンデモ話検出キット」だ。)

その知識もないまま考えるのでは、それはただの妄想と大差ない。

今回の「見せしめにすれば再発防止になるに違いない(キリッ)」という考えと、例えば、アニメオタクが「嫁の○○ちゃんとあんなことやこんなことしたいな~デュフデュフw」というのは本質的に大差ない。

今回のこの失敗は「調べる」ということができていれば防げたし、それをする以外に防ぐ方法はなかった。

この点を見れば、いかに「自分の頭で考える」ことが危険かわかると思う。

「考える」ための専用の知識はいくつかあるが、最も重要なものは「正確な知識に基づいて考える」というものだ。

前提となる知識が間違っていたら、いくら考えたところで間違った答えしか出てこない。

当たり前だ。

そして、間違った答えしか出さない考え方をいくら繰り返したところで、間違った考え方を繰り返すだけだ。

それは、正しい考え方を身に着ける訓練にはならない。それどころか、間違った考え方を身に着けてしまうだろう。

たとえて言うなら、野球のルールを知らないままバットやグローブを見てどんなスポーツか自分で考えて練習したところで、野球がうまくならないのと同じことだ。

ならばやるべきだったのは、調べること、人に聞くこと、確認することだ。

よって、「人に聞く前に考えなさい」ではなく、「考える前に人に聞きなさい」が正しい。

そして、理想的には、

考え始めてからも聞いたほうがいいし、

考えている途中でも聞いたほうがいいし、

考え終わった後にも聞いたほうがいい。


とにかく聞いたほうがいい。

人間は、そこまで賢い動物じゃない。
どれだけ考えたところで、あらゆるものを見通せるはずもない。
ある問題は、自分には思いもよらないことが原因となって起こっているかもしれない。
自分には理解し得ないほど複雑で高度な法則がそこにはあるかもしれない。

それを一人で理解するなんて土台無理な話だ。
今から、当たり前のことを言おう。

自分で思いつくことは、自分が思いつくことだけ

という現実だ。

これは至極当たり前だが、その割にはまるで理解されていないように俺には感じられている。

自分に思いつかないことは、いくら考えたところで思いつくはずがない。

重要なのは、「真実は『自分の思いつかないところ』にあるかもしれない」ということだ。

だから俺は、人に聞いたほうがいい、というのだ。自分のだけじゃなく、他人の知識や知恵も有効活用すべきだ。

それらすべてを自分ひとりで理解しきれると思うのは、常軌を逸した思い上がりといっていい。

もし人間にそんなことができるのなら、始皇帝だってiPhoneを使っていたことだろう。

「自分の頭で考える」事がいい理由としては、「人に聞いただけで理解した気になって、考えるのをやめてしまい、思考力が身につかないから」などと言う。

だがどうだろう。

今回のように、自分の頭で考えて、それがもっともらしいというだけで正しい気になって、結局中途半端なところで考えるのをやめている。それなら、思考力なんて身につかないのではないだろうか。

考えることが、かえって考える力が身につくことを邪魔しているという現実に気づいたほうがいい。

それを防ぐには、確認することだ。

考える前後を問わず。絶えず、本当に正しいのか、人に聞き、資料にあたり、自分でも実践してみる。

「その方法では、考える力は身につかない!」。

仮にそれが正しいとしよう。

だが、確認する前に自分で考えたところで「考える力」とやらは身につかないのだから、こちらの方が正しい答えにたどり着ける分だけマシというものだ。

「自分の頭で考える」というのは、何やらロマンチックに、心地よく響くかもしれない。

だが、それでは、良い結果は得られないことに気づいたほうがいい。

最後に、誰が言ったことかも、どこで見たかも忘れてしまったが、特に感銘を受けた言葉を教えよう。

「信じるな、疑うな、確認しろ」

下のバナーを1クリックお願いします。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村