人はしばしば「自分の頭で考えなさい」と言って、分かりきっていることを教えないことがある。
それが大事なことなのだと。
そうしなければ、「本当の意味で身につく」ことがないのだ、と。

だが、俺はそれはおかしいと思っている。

俺の経験上、知識がなければ思いつかないことが多々ある。
「考えろ」「考えろ」というけれど、とっかかりとなる知識がなければ話にならないことも多い。

すでに答えが出ているのなら、さっさと教える方がいいし、教えてもらうほうがいい。

「それでは考える力が身につかない!」とのたまう人間もいるが、おそらくそれは、教え方が悪い。

「なぜそうなっているのか?」「なぜそうだとわかったのか?」という部分を教えていないのだろう。

その部分を学ぶことができれば、ある発見をした人間の思考を追体験することができる。それができれば、その発想を別のことに活かせないかと考えることも出来る。さらに発展させることができないかと考えることができる。あるいは、どこかに欠点がないかと探すことも出来る。

考えるというのはそういうことを言う。
すでに誰かが出したアイディアを自分で出す必要なんかない。

そして、考えることを教えたいのなら、それらができるように導く必要がある。

例えば、進化論や慣性の法則、三角形の面積の求め方、三平方の定理などをわざわざ自分で考えなければならない理由がどこにあるのか。

最近、感銘を受けた言葉がある。

人の失敗から学びましょう。自分で全部経験するには人生は短すぎます。


アメリカ第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトの言葉だ。

実に正しいことだと思う。シンプルなようだが、なかなかできないことでもある。

そして、俺はこれを少し変えて、こんな風にも言いたいと思う。

人に教えましょう。自分で全部考えつくには人生は短すぎます。

教育の目指すべき姿は、今わかっていることをいかにして発展させるか、それをどう教えていくかだろう。

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