「雑草は踏まれるたびに強くなる」

苦労することを勧める人
厳しい意見を投げかける人
努力させたがる人

そんな人たちが好んで使う。

だが、俺は、この言葉が体罰や理不尽なしごき、無意味どころか有害な精神論の温床になっているようにも感じる。

俺たちは、考えなければならない時に来ているのではないだろうか?

草にはいろいろな種類がある。

たしかに、踏まれた方が強くなる草もあるだろう。

だが、そういう草に目が行ってしまうのは、踏まれてそのまま花を咲かせることなく枯れてしまった草には誰も気づかないからではないか?

槇原敬之が作曲し、SMAPが歌い大ヒットした「世界に一つだけの花」という歌がある。

「世界に一つだけの花 ひとりひとり違う種を持つ」

人も、花も、それぞれ違う。いろいろな”品種”がある。

果たして、目の前の人は「踏まれて強くなる」”品種”だろうか?

皇居の周りの草木には、みな名札がついている。これは生物学者でもあった昭和天皇のお言葉を受けてのことらしい。

天皇はこう言われたそうだ。

「雑草という草はない。みんな名前がついている。名前で呼ぶように」

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