この世には「名言癖」とでも言うべき考え方があると思う。
「良いことを言いたい」
「かっこいいことを言いたい」
「俺が知ってるこの世の真実をひけらかしたい」
そんな考え。
だが、そんな願望から産まれた"名言"は時に、大きな過ちを犯しているようだ。
以下のようなツイートを見た。
「2位じゃダメなんですか?」
「あなたはガガーリンを知っていますか?」
「もちろん世界で初めて宇宙に行った人です」
「ではアランシェパードは?」
「誰です?」
「ほら、2位じゃダメなんです」
おそらく「2位では覚えてもらえない。だから1位じゃなきゃダメ」ということなんだろう。
だがこれは無理がある。
これはこんな続きを作れる。
「あなたは王貞治さんを知っていますか?」
「もちろん」
「では、野村克也さんを知っていますか?」
「もちろん」
「野村克也さんは、本塁打通算歴代2位ですが、なぜ知っているんですか?」
野村克也の部分は、長嶋茂雄や落合博満、清原和博などいろいろな知名度の高い野球選手に変えていい。
ここで言いたいのは、2位以下でも覚えられている人がいるということ。
その現実がある以上「1位でなければ覚えてもらえない」という説は成立していない。
だいたい、長嶋茂雄氏がたたえられる時「記録よりも記憶に残る男」というではないか。
「1位でなければ覚えてもらえない」という言葉が真実ならこんなほめ言葉は産まれないはずだ。
これは論理の落とし穴のひとつ「観測結果の選り好み」にあたる。参考記事・論理の落とし穴や言い回しの罠2/4
自分の主張に都合のいい事実だけを集め、都合の悪い事実は捨てている。
たしかに「1位の人しか覚えていない」というケースはいくらでもあるだろう。
だがそれと同様に「2位でも覚えている」ケースはたしかに存在し、さらに「1位でも覚えてもらえない」というケースもやはり探せば出てくるだろう。
ならば、この主張はトンデモ話にあたる。
「2位じゃダメ」
そういうケースがないわけではない。
例えばコンピュータのOSの世界では、Windowsがいい例だが、一度支配的なシェアを獲得してしまえばその支配はずっと続く。
なぜなら、周囲が使っているものと同じものを使ったほうが効率がいいからだ。
システム的に互換性がない場合、違うOS同士だと使えるソフトも使えないこともある。昔はMicrosoftofficeはMacでは使えなかったので、WordやExcelを使いたい場合はWindowsを買うしかなかった。そして、周りがそういったソフトを使うのなら、自分も(たとえMac信者だろうと)Windowsを使わざるを得なくなる。
また、それ以外のソフトや周辺機器のメーカーも最も多く普及しているものに向けた商品開発を優先する。
それらが充実すれば、さらに利便性が高まり、消費者はそちらを買うようになる。
ついでに言うと、周りと同じものを持っていると操作方法などを色んな人に聞ける。
一度1位になることでさまざまな好循環が生まれ、結果その支配を続けることになる。
そのようなケースを見てみれば「2位じゃダメ」という言葉はたしかに成立しているように見える。
だが、それはそれとして。
現実には「2位でもいい」というケースも存在する。
「白猫プロジェクト 攻略」で検索すると、さまざまな攻略サイトがヒットする。そして、それらのサイトには例外なく「最強キャラランキング」というものが存在しそこには1位のキャラが存在する。
だが、1位じゃなければ使えないということは全くない。
白猫プロジェクトにはさまざまな職業があり、それぞれ使い勝手が違うし敵との相性も違う。たとえ1位のキャラだろうと相性の悪い敵には勝つことは難しい。
逆に2位以下のキャラでも、相性がいい敵やステージではトップクラスの能力を発揮する。
現に今行われているイベントでは、今まで「使えない」と評されていたキャラが「最強!」とばかりに盛んに使われている。
2位どころか「それより下の下でもいい」という状況も存在する。
ここまで見てくると「1位じゃなければダメなのか?」という問いへの答えは「ケースバイケース」というのが適当のようだ。
それにもかかわらず、なぜ「1位じゃなきゃダメ」という主張が消えないのだろう?
この主張の本音の本音は「1位を目指せ!」ではなく「努力しろ!」なのだろう。
1位というのは目標であって目的ではないのだろう。
なるほど確かに努力はいいことかもしれない。
だが、それがどれだけ正しかったとしても、その結論に至る全ての論理が正しいというわけにはいかない。
「結論が正しければ途中の論理が間違っていようが構わない」という考えは「正義だったら何をしてもいい」という考えに直結する。
その考えは、ここがアドルフ・ヒトラーが誕生していない世界線なら認めてもいいが残念ながらそうではない。
「名言癖」を持つ人間は次のような傾向を持っているようだ。
・厳しい意見が好き。厳しいことは正しいこと。
・スパッと言い切りたい。あいまいな言い方や含みを持った言い方はいやらしい感じがする。
・できるだけ短い言葉が好き。長ったらしいのは口にするのもめんどくさい。
・単純な言葉が好き。単純な考え方にこそ真実があるはず。
・どんな状況でも通じる真実を言い表したものが好き。限定された状況でしか成立しないのはスケールが小さい。
だとすると「1位じゃなきゃダメ」という言葉は実に見事にその条件を満たしている。
だが、残念ながらそれは真実ではない。
そこにあるのはただ
「自分に都合のいい結果だけを見たい」という願望
広い範囲でものを見られない視野狭窄
相対性というものに対する無理解
という、一言で言えば知的怠慢だ。
考えなければ考えないほど、知らなければ知らないほど、「2位じゃダメ」という考えは正しく甘く響くだろう。
だがその響きに酔って失うものは「努力する」という姿勢そのものだ。
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「良いことを言いたい」
「かっこいいことを言いたい」
「俺が知ってるこの世の真実をひけらかしたい」
そんな考え。
だが、そんな願望から産まれた"名言"は時に、大きな過ちを犯しているようだ。
以下のようなツイートを見た。
「2位じゃダメなんですか?」
「あなたはガガーリンを知っていますか?」
「もちろん世界で初めて宇宙に行った人です」
「ではアランシェパードは?」
「誰です?」
「ほら、2位じゃダメなんです」
おそらく「2位では覚えてもらえない。だから1位じゃなきゃダメ」ということなんだろう。
だがこれは無理がある。
これはこんな続きを作れる。
「あなたは王貞治さんを知っていますか?」
「もちろん」
「では、野村克也さんを知っていますか?」
「もちろん」
「野村克也さんは、本塁打通算歴代2位ですが、なぜ知っているんですか?」
野村克也の部分は、長嶋茂雄や落合博満、清原和博などいろいろな知名度の高い野球選手に変えていい。
ここで言いたいのは、2位以下でも覚えられている人がいるということ。
その現実がある以上「1位でなければ覚えてもらえない」という説は成立していない。
だいたい、長嶋茂雄氏がたたえられる時「記録よりも記憶に残る男」というではないか。
「1位でなければ覚えてもらえない」という言葉が真実ならこんなほめ言葉は産まれないはずだ。
これは論理の落とし穴のひとつ「観測結果の選り好み」にあたる。参考記事・論理の落とし穴や言い回しの罠2/4
自分の主張に都合のいい事実だけを集め、都合の悪い事実は捨てている。
たしかに「1位の人しか覚えていない」というケースはいくらでもあるだろう。
だがそれと同様に「2位でも覚えている」ケースはたしかに存在し、さらに「1位でも覚えてもらえない」というケースもやはり探せば出てくるだろう。
ならば、この主張はトンデモ話にあたる。
「2位じゃダメ」
そういうケースがないわけではない。
例えばコンピュータのOSの世界では、Windowsがいい例だが、一度支配的なシェアを獲得してしまえばその支配はずっと続く。
なぜなら、周囲が使っているものと同じものを使ったほうが効率がいいからだ。
システム的に互換性がない場合、違うOS同士だと使えるソフトも使えないこともある。昔はMicrosoftofficeはMacでは使えなかったので、WordやExcelを使いたい場合はWindowsを買うしかなかった。そして、周りがそういったソフトを使うのなら、自分も(たとえMac信者だろうと)Windowsを使わざるを得なくなる。
また、それ以外のソフトや周辺機器のメーカーも最も多く普及しているものに向けた商品開発を優先する。
それらが充実すれば、さらに利便性が高まり、消費者はそちらを買うようになる。
ついでに言うと、周りと同じものを持っていると操作方法などを色んな人に聞ける。
一度1位になることでさまざまな好循環が生まれ、結果その支配を続けることになる。
そのようなケースを見てみれば「2位じゃダメ」という言葉はたしかに成立しているように見える。
だが、それはそれとして。
現実には「2位でもいい」というケースも存在する。
「白猫プロジェクト 攻略」で検索すると、さまざまな攻略サイトがヒットする。そして、それらのサイトには例外なく「最強キャラランキング」というものが存在しそこには1位のキャラが存在する。
だが、1位じゃなければ使えないということは全くない。
白猫プロジェクトにはさまざまな職業があり、それぞれ使い勝手が違うし敵との相性も違う。たとえ1位のキャラだろうと相性の悪い敵には勝つことは難しい。
逆に2位以下のキャラでも、相性がいい敵やステージではトップクラスの能力を発揮する。
現に今行われているイベントでは、今まで「使えない」と評されていたキャラが「最強!」とばかりに盛んに使われている。
2位どころか「それより下の下でもいい」という状況も存在する。
ここまで見てくると「1位じゃなければダメなのか?」という問いへの答えは「ケースバイケース」というのが適当のようだ。
それにもかかわらず、なぜ「1位じゃなきゃダメ」という主張が消えないのだろう?
この主張の本音の本音は「1位を目指せ!」ではなく「努力しろ!」なのだろう。
1位というのは目標であって目的ではないのだろう。
なるほど確かに努力はいいことかもしれない。
だが、それがどれだけ正しかったとしても、その結論に至る全ての論理が正しいというわけにはいかない。
「結論が正しければ途中の論理が間違っていようが構わない」という考えは「正義だったら何をしてもいい」という考えに直結する。
その考えは、ここがアドルフ・ヒトラーが誕生していない世界線なら認めてもいいが残念ながらそうではない。
「名言癖」を持つ人間は次のような傾向を持っているようだ。
・厳しい意見が好き。厳しいことは正しいこと。
・スパッと言い切りたい。あいまいな言い方や含みを持った言い方はいやらしい感じがする。
・できるだけ短い言葉が好き。長ったらしいのは口にするのもめんどくさい。
・単純な言葉が好き。単純な考え方にこそ真実があるはず。
・どんな状況でも通じる真実を言い表したものが好き。限定された状況でしか成立しないのはスケールが小さい。
だとすると「1位じゃなきゃダメ」という言葉は実に見事にその条件を満たしている。
だが、残念ながらそれは真実ではない。
そこにあるのはただ
「自分に都合のいい結果だけを見たい」という願望
広い範囲でものを見られない視野狭窄
相対性というものに対する無理解
という、一言で言えば知的怠慢だ。
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だがその響きに酔って失うものは「努力する」という姿勢そのものだ。
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