人と人が分かり合うというのは極めて困難だ。
それを成すには、百万言費やしてなお足りず、それだけではない何かが必要なのだと思う。
両親がこのブログを読んでいるらしくときどきメールをよこしてくる。
だが、それを見るたびに暗澹たる気持ちになる。
詳細は明かさないが、基本的には反論だ。
そして、俺はたいてい返信をしない。
なぜかというと、何かを言うだけ無駄だと思うからだ。
俺はこれまでに何度も何度も親の、ひいては現在正しいとされている理屈の矛盾点や客観的事実と合わない点などを指摘してきた。
そして、時には「これは一体どういうことか?」と問うてきた。
だが、親はそうした点にはほとんど触れてこない。
そういう態度を、俺は誠実さの無さと判断する。誠実さのない人間に、何を言っても無駄だということはこれまでの人生でさんざん味わったことだ。
自分に都合の悪いことは無言を貫くことでなかったことにしようとして、相手が間違っていた(少なくとも向こうにはそう感じられた)時には「しめた!」とばかりに反論する。
こんな態度で「誠意を感じろ」という方が無理である。
もし自分に誠意があることを示したいのなら、過去に俺が問うたことに答えたらどうだ。
俺は
「親は子供の質問に対して『くだらないことを聞くな!』『そんなことどうでもいいんだよ!』と言うことがある。しかし、その質問の中には学校で習うこともある。それを習う時になって子供が『お母さんはこないだこれをどうでもいいって言ったよね。だからこれは覚えなくていいんだよね?』と聞かれたらなんと答えるか?」という主旨の問いを発したことがある。参考記事:サブ余談 「親」という人種へ
こんな質問には一切答えない。
これは、俺個人の興味だけでなく、「親の教育理念とはなんなのか」を知る上で極めて重要な質問である。
この答えを聞かねば親が何を思い願って教育しているのかわからない。
しかも、そういう対応をする親が俺の親だけではない以上、これは公共の利益にも資する質問だ。
親にはこれに答える重大な責任も意義もある。
だったら答えてみせて欲しいものだ。
例えば、俺は超能力や占いに関する質問記事を書いた。参考記事:唯言217 超能力を信じている人にしてみたい4つの質問
超能力を信じる人には親も当てはまる。(質問中の「超能力」は「占い」に変えても大差ない)
そんな質問にも親は一切答えていない。
しかもその質問は「占いとは何か」「『占いを信じる』とは何を信じることか」という点を考える上で極めて重要な質問だ。
ひいては「人が似非科学を信じる理由」を知ることにつながる。
やはりこれに答えることは重要な意義がある。
ましてや「占いは正しいんだ!」「超能力はあるんだ!」と思っているなら責任もある。
しかし彼女らは一切答えない。
さらに俺は「親はこれまで犯してきた間違いに関して総括すべき」とも言った。参考記事唯言191 価値観の推移が生んだ残酷
しかし、それらはいまだに行われていない。
都合が悪いから。
親がそのような誠意を見せないのなら、俺もこれ以上見せる必要もない。誠意のない人間に見せる誠意としては「懇切丁寧に説明する」だけでも充分すぎる。
親は一度自覚した方がいい。
「親だから」そんな理由で自分には誠意があると思っているのだろうが、実際には全くそんなことはないのだということを。
そしてもう一つ。
謝罪は誠意ではない。
相手の気持ちに応えることこそ誠意なのだ。
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それを成すには、百万言費やしてなお足りず、それだけではない何かが必要なのだと思う。
両親がこのブログを読んでいるらしくときどきメールをよこしてくる。
だが、それを見るたびに暗澹たる気持ちになる。
詳細は明かさないが、基本的には反論だ。
そして、俺はたいてい返信をしない。
なぜかというと、何かを言うだけ無駄だと思うからだ。
俺はこれまでに何度も何度も親の、ひいては現在正しいとされている理屈の矛盾点や客観的事実と合わない点などを指摘してきた。
そして、時には「これは一体どういうことか?」と問うてきた。
だが、親はそうした点にはほとんど触れてこない。
そういう態度を、俺は誠実さの無さと判断する。誠実さのない人間に、何を言っても無駄だということはこれまでの人生でさんざん味わったことだ。
自分に都合の悪いことは無言を貫くことでなかったことにしようとして、相手が間違っていた(少なくとも向こうにはそう感じられた)時には「しめた!」とばかりに反論する。
こんな態度で「誠意を感じろ」という方が無理である。
もし自分に誠意があることを示したいのなら、過去に俺が問うたことに答えたらどうだ。
俺は
「親は子供の質問に対して『くだらないことを聞くな!』『そんなことどうでもいいんだよ!』と言うことがある。しかし、その質問の中には学校で習うこともある。それを習う時になって子供が『お母さんはこないだこれをどうでもいいって言ったよね。だからこれは覚えなくていいんだよね?』と聞かれたらなんと答えるか?」という主旨の問いを発したことがある。参考記事:サブ余談 「親」という人種へ
こんな質問には一切答えない。
これは、俺個人の興味だけでなく、「親の教育理念とはなんなのか」を知る上で極めて重要な質問である。
この答えを聞かねば親が何を思い願って教育しているのかわからない。
しかも、そういう対応をする親が俺の親だけではない以上、これは公共の利益にも資する質問だ。
親にはこれに答える重大な責任も意義もある。
だったら答えてみせて欲しいものだ。
例えば、俺は超能力や占いに関する質問記事を書いた。参考記事:唯言217 超能力を信じている人にしてみたい4つの質問
超能力を信じる人には親も当てはまる。(質問中の「超能力」は「占い」に変えても大差ない)
そんな質問にも親は一切答えていない。
しかもその質問は「占いとは何か」「『占いを信じる』とは何を信じることか」という点を考える上で極めて重要な質問だ。
ひいては「人が似非科学を信じる理由」を知ることにつながる。
やはりこれに答えることは重要な意義がある。
ましてや「占いは正しいんだ!」「超能力はあるんだ!」と思っているなら責任もある。
しかし彼女らは一切答えない。
さらに俺は「親はこれまで犯してきた間違いに関して総括すべき」とも言った。参考記事唯言191 価値観の推移が生んだ残酷
しかし、それらはいまだに行われていない。
都合が悪いから。
親がそのような誠意を見せないのなら、俺もこれ以上見せる必要もない。誠意のない人間に見せる誠意としては「懇切丁寧に説明する」だけでも充分すぎる。
親は一度自覚した方がいい。
「親だから」そんな理由で自分には誠意があると思っているのだろうが、実際には全くそんなことはないのだということを。
そしてもう一つ。
謝罪は誠意ではない。
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