・裏づけをとれ。
「事実」が出されたら、独立な裏づけをできるだけたくさん取るようにしよう。

・議論のまな板にのせろ。
証拠が出されたら、さまざまな観点を持つ人たちに、しっかりした根拠のある議論をしてもらおう。

・権威主義に陥るな。
権威の言うことだからと言って当てにしないこと。権威はこれまでもまちがいを犯してきたし、今後も犯すかもしれない。こう言えばわかりやすいだろう。「科学に権威はいない。せいぜい専門家がいるだけだ」

・仮説は複数立てろ。
仮説は一つだけでなく、いくつも立ててみること。まだ説明のつかないことがあるなら、それが説明できそうな仮説をありったけ考え出そう。次に、こうやって得られた仮説を、かたっぱしから反証していく方法を考えよう。このダーウィン主義的な選択をくぐり抜けた仮説は、単なる思いつきの仮説にくらべて、正しい答えを与えてくれる見込みがずっと高いはずだ。

・身びいきをするな。
自分の出した仮説だからと言って、あまり執着しないこと。仮説を出すことは、知識を手に入れるための一里塚に過ぎない。なぜそのアイディアが好きなのかを自問してみよう。そして、ほかのアイディアと公平に比較しよう。そのアイディアを捨てるべき理由がないか探してみよう。あなたがそれをやらなければ、ほかの人がやるだろう。

・定量化しろ。
尺度があって数値を出すことができれば、いくつもの仮設のなかから一つを選び出すことができる。あいまいで定性的なものには、いろいろな説明がつけられる。もちろん、定性的な問題のなかにも深めるべき真実はあるだろうが、真実を「つかむ」方がずっとやりがいがある。

・弱点を叩きだせ。
論証が鎖のようにつながっていたら、鎖の輪の一つ一つがきちんと機能しているかどうかをチェックすること。「ほとんど」ではなく、前提も含めて「すべての」輪がきちんと機能していなければならない。

・オッカムのかみそり。
これは使い手のある直感法則で、こう教えてくれている。「データを同じくらいうまく説明する仮説が二つあるなら、より単純な方の仮説を選べ」

・反証可能性。
仮説が出されたら、少なくとも原理的には反証可能かどうかを問うこと。反証できないような命題には、たいした価値はない。例えば次のような壮大な仮説を考えてみよう。例えば次のような壮大な仮説を考えてみよう。「われわれの宇宙とその内部の一切は、もっと大きな宇宙の中の一個の素粒子(電子など)にすぎない」。だが、この宇宙の外からの情報が得られなければ、この仮説は反証不可能だ。主張は検証できるものでなければならない。筋金入りの懐疑派にも、推論の筋道がたどれなくてはならないし、実験を再現して検証できなければならないのだ。


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