人間の目撃証言には、勘違い、記憶違い、見間違いが混じってくる。
だからこそ、刑事裁判では目撃証言よりも物的証拠が重要視される。

ここが崩れてしまえば、刑事罰は〝他薦″によって決まってしまう。

これもまた、しばしば、「証言者は嘘つきか、正直者か」という論点で語られがちだが、それは問題ではない。
以前、とある大物芸人が(伏せるのは記憶があやふやなだけです)「霊能力者たちを嘘発見器にかけたらいい」と言っていたのを聞いたことがある。

確かにそれは面白い企画だが、出てきた結果に意味はない。

もちろん、それで嘘をついている霊能力者が判明すればそれはいいことだと思うが、嘘をついていなかったらどうなるだろうか?

幽霊が実在していることになるだろうか?

ならない。

どういうことかというと、例えば幻覚のように、本当は幽霊ではないものを、その人は幽霊だと思っている可能性があるからだ。

この場合、嘘発見器ではそれはわからない。
なぜなら、その人にとっては、それは紛れもない真実だからだ。

結局のところ、自称霊能力者が嘘つきか正直者かなんて言う議論は、決定的に「幽霊が実在するか」という議論を決着させるものではない。

では、どうやったらいいのか?

それは、先ほども言ったように、

「実物」

これ以外にない。

まず、客観的に存在する事実としての幽霊が存在しない限り、とてもじゃないが、幽霊が存在するなどとは断言できないのだ。

そのためには、まず幽霊とされているものを捕まえる。
見えないのなら見えないようにする。

なんというか、幽霊を信じている人の中には、それが見えないからこそ存在しているとでも言いたげな人がいるが、見えないということは実在を疑うにはあまりにも十分すぎる理由になってしまうのでまずい。
見えるようにする、ということは、肉眼で、とは限らない。何らかのセンサーやカメラ等によって、例えば電磁波のようなものが出ているならそれをとらえる、カメラに映るというなら写るようにする。

おっと。

ここで、「写真は証拠にならないとさっき言ってたじゃないか!」と思った方のために付け加えておくと、写真が証拠になる場合もある。

「確かな証拠」ではないが、「何かがいる」と言えるぐらいの証拠にはなる。

それは、同じ場所で同じ条件で何度も何度も撮影して、同じように「幽霊」が写っていた場合だ。
当然、カメラの故障等もないよう気を使いつつ写した場合の話だ。

何度やっても同じように映る。

これが何百、何千枚とあったら、誰もが「何か肉眼に写らないもの」の存在を認めざるを得ないだろう。
「心霊写真が証拠にならない」と言ったのは、少なくとも俺が知る限り、同じ心霊写真が1枚しかない、いわゆる「心霊スポット」でとった写真が何枚かあったとしても、同じ幽霊が写っていると言えるような鮮明なものはなかった。

これではだめ。

(続く)

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