善い事か、悪い事か。

いいおこないか、わるいおこないか。

これを「超える」

というテーマの中に最近います。

というか、いつの間にかいました。






そして

私がそのテーマの中に入ったからなのか

それとも入ったから気付き始めたのか

分かりませんが

不思議なもので、友人や家族までも今

この

「善悪のジャッジを超える」

をさせられるような

出来事と対峙しています。








「善悪のジャッジを超える」

これは、めちゃめちゃ噛み砕いていうと

悪いことかもしれなくても

常識でいえば良くないことでも

けして褒められたことじゃなくても

自分がそうしたいなら、する。

ということです。






私は小さい時から

自分が関係ない嫌がらせを止めに入って

とばっちりを食ってみたり

無駄に正義感が強く

心の根っこに、この

「善悪のジャッジ」が住みついています。







駄目なものは、駄目。

これで生きていけるなら

別になんのあれもないんです。

でも、もう

これを超えないと

前に進めんなぁーというところに

います。







善悪をこえて

何かを決められるようになると

きっともっと

自分を責めなくなると思っています。

簡単に言うと

人生が自由で楽しくなる!

ような気がしています。

四六時中、胸のうちにあって

大小さまざまに

いろんな事柄に対して

浮かんでは消える罪悪感も

次第にいなくなるんだろうな、と

ぼんやり思っています。






でも、これと同時に

今よりもっともっと

何にも出来なくて、本当に役立たずで

飯食ってクソして寝るだけ、みたいな

自分になるという

恐ろしい予感があります汗






26歳くらいの時と

28〜31歳くらいの時に

感情をぶつけたり表現したりを

制御することを勉強した

(そうせざるを得なかったことで)

時期があり

これは自分の中ではもちろん宝物なのですが

逆に今、

「さぁ素直に表現していいよ!」

と言われても、もう

正直出し方がよくわからないのですが






この、

この厚くてでっかい包み紙みたいのから

野獣みたいな自分が

バリバリと出て来る気がして

うっすら不安でもあります。







善悪のジャッジを超えましょう。

もしよければご一緒に。

さあさあ悪いことをしましょう

ってんじゃないです。

善か悪か、というのは

意外と自分以外の中にはない、という事を

「体感」するみたいな

結果になるんじゃないかと思っています。






いま同じテーマの中にいる

友人や家族の話を聞いていて

自分のことを棚にあげて

すごく思うのです。

なんでそんなに自己犠牲なんだ

なんでそんなに私のせいで、なんだ

なんでそんなに

なんでそんなに

自分ばっかりが幸せになるなんて

とか思ってるんだ。







遠慮なく幸せになっていいはずなんだ。

理由なんかなくてもいいんだ。

誰も悪くなくてもいいんだ。

もういっかい、自分のためにも言います。

遠慮なく!幸せになっていいんだ。

いいんだ。

遠慮すんな!もう誰にも。何にも。





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むかーしむかし

既婚者だったころがあり

離婚した後しばらくして

共通の友人を通じて

「進歩発展なんていらなかったのに」

「そのままでいられたら良かったのに」

と言ってたよ、なんていう話を

聞いたことがあります。






確かにそう。

本当に彼のいう通り。

わざわざ進歩発展を目指さずとも

成長を目指すような生活じゃなく

毎日の繰り返しが大事だってこと

今ならよく分かります。

大事な部分を置き去りにして

変えよう、変えようとしてた部分が

ありました。






だけど、今

進歩や発展や成長は

わざわざ目指さずとも

ほっといたらするもの、なっちゃうもの

だっていうほうが

しっくりきています。

確かに、わざわざ目指さずとも

何かが袖や裾を掴まない限りは

ほっといたら、進歩発展はきっとします。

ちょっとずつ。





これが

日常生活の繰り返しの中でするときは

きっと

わざわざ成長しようとする必要がない。

ドカン!としたパンチある出来事も

行動も、たぶんいらないです。






でも、たまーに

ワープじゃないけど

価値観やら何やらが大きく変わる時が

たぶん誰にでも「時期」としてあって

今そのためにこの

「善悪のジャッジを超える」ことが

必要なんだろうなぁー、と

なんだかぼんやり

思っています。





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両親は、父も母も

本当に善人で

彼らのような立派な人にはなれない!

と思うあまり

自分のことを最小限しか話せない

つまり

自分の日常を話したら怒られる!

と、いい歳こいて思っていました。






けど、最近

自分のクソな行いを

悪業のレベルが低いものから(まだビビってる

さりげなーく話してみているのですが

なんと予想に反して

「いいんじゃない?」としか

「そうしなよ!」としか

言われないのです。






そういえば、思い返せば

学校をサボってプールに行くと言っても

学校をサボって彼氏と旅行に行くと言っても

(今考えるとなにしてんだ)

彼らは一度も怒らなかったんだった。

私、何に怒られる予定だったんだろう。







両親が植え付けたわけじゃなかったんだ、

人のせいにしてました。

手放しで、無条件で

信じてくれている人達のことを

私が

信じていなかっただけだったようです。








「この感じ」を

あぁ、そうか、違うんだっていう感じを

「善悪のジャッジを超える」ことで

分かる。

何度も体感する。

そんな10・11月になる。

そんな気がしています。

そしてそれは、私だけじゃなくて

半径5mくらいの人達ぞろぞろと

やるような気がしています。







まるこめ