不得手なことがある。

単純な事でいうと

とにかく虫が駄目だし、

もっと大きな不得手で言えば

小さな事が気になる性分で

あらゆるものが鵜呑みに出来ない。






それは例えば

人の話を聞いていて

「私ってすごい強いんだよねぇ」

とか言われたとして、

はーそうですかと流せばいいものを

本質が明らかに違う時、

黙っていればいいものを

何か繊細な部分があって

牽制球投げてんなぁ

傷つけやしないのにとか 

そうであった誰かを追いかけてんだなぁとか

敏感に感じ取りすぎて

「そうかい?繊細そうに見える時もあるよ」

と答えてしまったりする。

そして言った後にやべっと思う。







両親や祖父母、姉妹は

そのまま受け入れてくれたけど、

小さい時はこれがまた

先生等の身近な大人や

同世代からも不評で

(そりゃそうだ)

そのせいでだいぶ痛い思いもしたし、

今はだいぶ余計なことは言わないよう

突っ込まれたくないであろう部分は

触れないようになったけど

それでもたまーについポロリしてしまう。







友人でもそうだし

本当のところを言えば

もっと大きな声で言いたいのが職場は、

不得手なことは愛(め)であいたいし

そうであるのが1番お互いが活かしあえて

かつ居心地いい。

世界中の職場という職場が

そうであればいいなぁと心から思う。







(先日、人生初の気球に乗りました!正直死ぬかと思った)




高いところが無理。

方向オンチ。

数字が駄目。

コミュ障。

文章が書けない。

パソコンが苦手。

繰り返し作業が苦手。

地図が読めない。

段取りが組めない。

他にも千差万別な出来ないこと。

嫌なこと。







これが愛でられないと

他人の「出来ない」に

腹が立つ事が増えてくる。

どうしてこんなことが出来ないの。

努力が足りないのではないか。

考えが足りないんじゃないか。

覚悟や気合いがないんじゃないか。

読みが甘いんじゃないか。








それと同時に

自分の「出来ない」も

いつも自分を追い立てる、駆り立てる。

これが出来ないから

自分は無能なのではないか。

レベルが低いのではないか。

疎まれてるんじゃないか。

下に見られてるんじゃないか。



 



なぁ、愛であおうぜ。

他人の出来るも出来ないも同じくらい。

自分の大事な人のそういう部分を

愛しく思ったことはあるでしょ?

そういう部分をみて、より

愛しさが深まったことはないかい。

それと、同じだ。

同じだ。

せっかく、たまたま、

居合わせた誰かも。

同じ場所、同じ時間を偶然に

過ごすハメになった誰かも。






もちろん私も、そうは言っても

誰かのそういう部分にイライラしたり

あぁもう!と思うことはあるけど

人間って器用なもんで

その人のそういう部分を

嫌かもって思いながらも同時に

愛しく思うこともできるんだよね。

そんでも嫌ってとこは

薄目にするようにして

いわゆる「そこには目をつぶって」状態にする。


 





そうこうしてるうちに

今まで頭にきていたり

いちいちイライラしていた

許せなかった

「誰か」の苦手・出来ない・嫌だ、を

うすぼんやり眺めているうちに

ふいに気づくんだ、

自分こそがそれを埋めるピースだったんだって。







なあんだ、イライラしちゃって馬鹿みたい。

世界が私の為に用意したボコ(凹)に

頭にきていたなんて。






最後に。

私の駄目・苦手・不得手はたくさんある。

流行り物に謎の反抗をかます癖がある。

タピオカも先日初めて飲んだ。

美味しいじゃんか!

反抗心の馬鹿!







あとは

運転も料理もするけど

ほんとは極力したくないし、

次の予定時刻が気になっちゃうから

予定も1日に沢山入れられない。





あと

四六時中、こんなような事を考えている。

つまり、とにかく理屈っぽくて暗い笑






照司かよ
shoji kayo




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