もういかん、どうにもならん

ほんとうに希望はない、無理なんだ

というところから

なんとかかんとか持ち直して

いろんな人の鼓舞やら支えを経て

いろんな物の影響やら記憶を得て

よし、もう一回信じてみよう!

という時があります。













この場合の「信じる」は

最初は

「いつかそれが叶うと心から信じる」事。

そして第2段階として

「それは叶わなくても

自分の人生は大丈夫、他の道もある

幸せであると信じる」事。










そして

第3段階は

「叶わなくても大丈夫だとしても

やっぱり叶えたい!叶えたい!と

もう一回本気で願おうじゃないか」

です。

煮詰めたような粘着質な気持ちじゃなく

なんていうか

まあまあもうそれはそれで

じゃあまあでも

いっちょやってみよかい、みたいな

清々(すがすが)しい気持ち、

楽しい気持ちです。











本当の本当に駄目となってみてはじめて

やっと初心に帰れたりします。

そうなってみてはじめて

自分の本当の望みが分かることもあります。

そうか、本当はこれが欲しかったんだ

どうしていままで忘れていたんだろう

どうしてこんなに欲しかったのに

いらないふりができていたんだろう。













私が迷うと必ず行ってしまうところに

しほさんと言う、神がかり的に

人の話を聞く天才がいます。

このかた、なにがすごいかというと

ふたりで雑談をしているうちに

自分が本当は

「誰に」「何を」言いたくて苦しかったのか

そのセリフが、

自分の心すら知らない奥底の底のほうで

存在していた言葉のまんまに

一言一句違わずに

ポロリとしほさんの口から出てきて

まさに衝撃、

金槌で頭を力一杯打たれた(ことないけど)

ようになってしまうのです。










「そ…

そう、そう、そうなんです

そうなんです…!!!」

涙腺崩壊、大人の防御のカベ消滅。

体裁も、美談も、はるか向こうへ。

なんで私の口からじゃなく

あなたの口からでるの?!

と、いつも謎で聞いてみると

「わかんないけど言いたくなるの」

とのこと。

ははぁ〜なるほど、神の子かぁ〜笑












「誰に」「何を」言いたかったのか。

これは分かってしまうまでは

もう堂々巡りで

こんな、なんで、どうして、どうしたら

をずーーっとループなのですが

分かってしまうともう

腑に落ちちゃってもうすごいんですよね。

どんな状況も前向きに見えます。

そして大抵、馬鹿みたいに予想外です。

灯台元暗し、医者の不養生、

頭の上のメガネ。












見えるでしょうか、

右上に咲いているのは桜です。

久々に近所の神社にいったら咲いていました。

すごいね、あのさ

なんで咲いたよ、冬ですよ。










紅葉って正直いままでは

あーうん、綺麗だね、くらいにしか

感じていなかったんですが

年齢的なものでしょうか、

今年は人が変わったみたいに

燃えるような赤に見えて、

綺麗で綺麗で仕方ないです。











本当は、本当の本当は

「誰に」「何を」言いたかったのか。

これはめちゃくちゃ大事なんですね。

ある意味爆弾です。

これは分かるだけで人生が変わります。

そしてきっと、実際にそれを言えたら

恐ろしく人生が変わります。











これを探す手伝いをやっぱりしたいですね。

また対面でオラクルをやりたいなぁ

という気持ちが日に日につのります。











本当の、本当は

「誰に」「なんて言いたかったのか」

この本当の望みを

こわごわと信じてみよう。

そして人生で一回くらい、

最初は小さい声でもいいから

でも遂にはおっきな声で、全身で

「これが ほ、し、い!」

「これが し、た、い!」

って言ってみんかい、です。












例えば5秒後に、叶わないと判明するとしても

もう二度と

叶わなくてもいいとか言わないことが

信じることです。

叶うか叶わないかとはもはや別の次元の

この「信じる」は

絶対叶う!っていうのとは

近いようで違くて

これを願って生まれてきたであろう

自分のことを

自分の人生を、経験を

ひいては両親やおじいちゃんおばあちゃんを

心から信じている、みたいな気持ちです。

みた事がなくても神様はいるし!

サンタクロースもいるし!

みたいな気持ちです。












まるこめ