小学校の時の思い出の中で1番印象に残っている事は?
A: 50年くらい前の話なので…
いろいろなことを思い出します。
野球や音楽(ロック)…
それまでまったく興味がなかったことに突然目覚めた。
人生が激変する出来事があったのも小学生の時です。
それぞれについては前にも書いていると思いますが、それだけいろいろなことを吸収できる年齢だったのだと思います。
そう考えると、興味を持ったことは可能な限りやらせたつもりですが、もっと子どもたちにいろいろな体験をさせてあげればと思ったりもします。
まぁ、私の場合もそうですが最後は自分が決めることではあるのですが…
前置きが長くなりましたがその中でも1番といったら何になるか…
6年生の時の運動会になるのかなぁ~
これは総合リレーのアンカーとして一位でゴールしたときの写真です。
画像を見てもわかるとおり後続をかなり離してのぶっちぎり。
まさに華々しい思い出の1枚となるのですが…
私のとってはこれに至る経緯の方が思い出となっています。
私はもともと足が速い方ではありませんでした。
とにかく運動することが好きではなく、当然、何をするのも人より劣っていたようです。
50年近く前のことなのと、この華々しい出来事で記憶が上塗りされているので、はっきり憶えてはいないのですが、ひとつだけ憶えている出来事があります。
多分、小学校低学年のころだったと思います。
運動会ではなかったのですが、リレー大会のような行事があって、そのときになぜかリレー選手に選ばれたことはありました。
均等にチャンスをということだったのかもしれません。
いずれにしても、選ばれるということは嬉しいことです。
ただ…これも理由を覚えてないのですが、当日になって変えられてしまいました。
いわゆるエントリー変更です。
そんなことも知らず母が応援に来てくれていたのですが、母の喜びと落胆を思うと顔を見れませんでした。
もしかしたら、前日までの練習でやる気を感じなかったといった理由だったのかもしれませんが、私にとってもショックな出来事でした。
そんな私がなぜリベンジを果たすことができたのか。
ひとつは身体的成長です。
高学年になって急激に背が伸びました。
ただ、背が伸びたとしても体力や体の使い方が伴わなければ能力は発揮できません。
その証拠といってはなんですが…
野球は伸び悩んでいました。
人数が多かったので能力別にチームをいくつかにわけていましたが、努力の割には最後までトップチーム(1軍)には入れませんでした。
足が著しく早くなった理由…
それは父からのアドバイスでした。
それもたったひとつ。
電柱や壁に手を伸ばしてついて前傾姿勢に、その体制から足で地面を蹴り上げるように腿をできるだけ高く引き寄せる。
それを繰り返すだけです。
これによって、私は軽自動からスーパーカーに変貌しました(笑)
(たとえが昭和世代ですよね)
華々しい思い出も父のアドバイスのおかげです。
あらためて父に感謝します。
かなり長くなりましたが…じじぃの話は長いっていわないでくださいね(苦笑)
歳を取るとひとつの出来事はきっかけに過ぎず、それに至る経緯もひっくるめて思い出になるものです。
まさに、“人に歴史あり”ですね。
追記
野球に関して能力が開花したのは中学校に入ってから、顧問の先生や優れた先輩に出会い、その指導によるものだと思っています。父も学生時代に陸上をやっていてそれ経験に基づく指導でした。そう考えると、誰に出会い何を教わるか。これも大切なことだと思います。もちろん、一番大切なのは本人のやる気なんですが…
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