最初に断っておくがここでの信頼の定義は「人を信じ頼ること」である。
以後これを提として話を進める。
信頼を得ることは難しいというが、そもそも信頼は個人間にしか生じ得ないのではないか。
会社対個人にしても会社対会社にしてもそれらの間で行われているのは損得の天秤掛けだ。
相手によって与えられるものが自分の負担より優れたものであると自分が判断したときに初めて関係が生じる。
人間はこれをあたかも信頼から生まれるものと勘違いすることがある。
なぜか。そこには自分のほうが優位だろうという主観的な判断が含まれていることに気がついていないからである。
その油断が安易に相手を信じ頼る、つまり『信頼』することを招くのである。
『信頼』は異なる複数のものを比較し選択することによって生まれる。
今の場合、自分の利益と損失を比べている。
『信頼』の正体は自分が優位に立っている安心感である。
しかし信頼は比較からは生まれない。
むしろ信頼によって比較を排除していると言ってもよい。信じるには絶対的な価値観が必要だからである。
今までの話から『信頼』は偽造できても信頼は偽造できないと言うことはできないだろうか。
『信頼』の偽造はカンタンだ。
相手にとって有利な条件に見せかけて実は自分のほうが有利な状況を生み出せばよいからである。
そのような状況を生み出すにはどうしてもおカネが絡んでくるのではないだろうか。(ここでは人間を壊すことが目的の人間は想定しない。)
おカネの話を持ち出しやすい環境をつくる為に利用されるのが信頼である。
詐欺師にとって信頼は『信頼』をつくり出す為の道具に過ぎない。
信頼から『信頼』にすり替えるが、騙される側はそれに気がつかない。
また、信頼は偽造できないと言ったがこれは正確ではない。
そもそも信頼にウソもホントもない。
信頼は絶対的価値観のもとにある概念のためだ。
最初から本気で仲良くなりたいと思っていない人と話をすると、話をしている最中はそんなこと頭の中には無いものではないだろうか。
つまり信頼というのは能動的につくるもではなく、受動的に受け取るものなのではないかということが言いたい、のだと思う。