こんにちは、内科医 ひとちゃんです
はじめに
西日本の豪雨の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます
また、被災地の早期の復旧を願っております
梅雨も明け、大好きな夏の季節がやってきたのになぜか、心が晴れません
西日本を中心とした豪雨の被害は、50人程度のお亡くなりになった犠牲者を出す大災害となっていることもあります
また、23年前の地下鉄サリン事件の元宗教団体の幹部7人に死刑を施行したというニュースがあったこともありますね
また、今朝になり、米朝会談の成果は失敗に終わったというニュースがあったからでしょうか
私のような凡人が、何かをできるわけでもないのですが・・・
西日本の豪雨が、地球温暖化による影響とすれば・・・これからも頻発していくでしょうかなんて、思ったりもします
さて、「地下鉄サリン事件」のことは、知らない方も多いのではないでしょうか
私は、あの日のことを鮮明に覚えています
まだ、研修医でしたね。3年目の内科研修で、浅草橋の某病院におりました(病院はなくなってしまいましたが)
とても、アットホームな雰囲気の病院で、素晴らしい先輩医師たちにからかわれながらも、厳しい指導を受ける日々でした
その日は確か、春の到来を感じさせる良く晴れたおだやかな日であったと思います
私は、何人かの患者さんの病室を訪れた後に医師室兼ナースステーションで、カルテを書いていました
「今日は、やけにヘリコプターの音が聞こえるね」
なんて、先輩医師が口にしたのが、始まりでしたね。きっと、取材のためにヘリコプターが現場の上空に向かっていたのですね
そのうちに
「ガスの事故が発生したようだ」とか
「薬品による事故が、地下鉄の駅で起きたようだ」とか、
「農薬が撒かれたらしい」
などと情報が次から次へと入ってきましたが、錯綜していましたね
携帯でニュース速報を確認できる今とは違いますからね
そのうちに都内の入院可能な、すべての病院にFAXで受け入れ要請があったのです
その病院には、病院の救急車がありましたので、可能な限り、入院治療をして頂くことになりました。
「おまえ、行ってこい」という先輩医師の一言で、なぜか、私が事務の方と2人で、病院の救急車の助手席に・・・
赤色灯を付いている本格的な救急車でしたからね
「救急車が交差点に進入します。道を譲ってください」
なんて、車内のマイクに叫びながら赤信号を幾つも突破したのは、人生最初で最後の経験でした
地下鉄の霞が関駅(?)に到着すると、そこは戦場のようでしたね。道路上に多くの被害者の方々が、横たわり、その間を多くの医師、看護師、救急隊員が走り回っていました
「いったい、何が起きたのか?」
ちょっと、躊躇していると
「連れていけるだけ、そちらの病院に収容をお願いします」
と指示されて、確か4人を乗せて病院に戻りましたね
途中、私も頭痛や吐き気など気分が悪くなりましたが、緊張のせいかと思っていました。
すると先輩医師から、携帯に電話があり
「それは、サリンらしい。患者さんの着ている上着を袋か何かに詰めて・・・それから、車の窓を開けて・・・それから、眼球を確認して・・」
と矢継ぎ早に指示があり・・・指示どおりに確認すると全員、極端な縮瞳があり・・・
気がつくと私自身も良く晴れているのに、景色が暗くなった気がしましたね
(気のせいかもしれませんが)
それからも、その日は何台も救急車を受け入れて・・・夜8時頃に病院をあとにしました
帰りの駅までの街のネオンの灯りが暗く感じたので、きっと、私も縮瞳がとれなかったのだと思います。
23年前のことと聞くと驚きます。お亡くなりになった方々もいますし、後遺症の残った方々も多いと聞きます。
忘れかけた、イヤな記憶が蘇ってくる・・・
とても暗い気持ちになりますね
それでは、また
今日は、クリニックの宣伝は、控えますね。
良い週末をお過ごしください
小笠原 均