こんにちは。内科医 ひとちゃんですニコニコ


前回のブログで、骨折をしたという記事を載せたところ、コメントやメッセージ、また、温かいお見舞いと励ましのお言葉を多くの方から、頂きまして、本当にありがとうございますキラキラ


また、今回、ある出版社の方から、本の執筆してみないかというお誘いを頂くという嬉しい、お話もありまして、骨折など、アンラッキーなことの裏では、ハッピーなこともありました。


これからも、どうぞ、宜しくお願い致しますニコニコ


さて、骨折したことで、年内に計画していたプランの一部が延期、あるいは、消失しました。


そのなかには、年内にどうしても、やりたいと思っていたことも、当然、ありました。例えば、医療系コミュニティー「Neo kokoro club」を発足させることでしょうか。


さて、前回の記事をupした翌日、新潟で、お世話になった方から、お見舞いの電話がありまして、
自分で、階段を踏みはずたことを正直に伝えると

「アホ〜〜、何をやっているんだぁ」

と一喝されまして、懐かしい声が聞けました。

声の主は、学生時代に可愛いがってもらったM社長でした。

その頃、「ロサンゼルス・クラブ」というビリヤード場で、アルバイトをしていたことは、以前にお話したと思います。

当時、灰皿を変えたり、台の掃除をしたり、キュー(球を突く棒)の手入れをしながら、フロアを歩きまわる私に

「君は、ビリヤードができるのか?」

と声を掛けてきたのが、M氏です。


「はい。少しだけ。」


と答えると、キューを1本、手渡され、


「ちょっと、相手をしてくれないか。」


とスーツの上着をぬぎだしました。当時の新潟には、珍しい3つ揃いのスーツに浅黒い肌、そして、虎のような眼つき。

若い私も、コレは、マズイと思った訳ですね。一瞬、躊躇ったのを覚えています。

しかし、もうゲームを始めるしかないと観念しました。

当時、従業員、つまり、インストラクターが、お客様に勝ってはいけないのが、この業界の掟でした。

今の接待ゴルフをイメージして貰えれば、良いと思います。

重い気持ちで、ゲームは、始まりました。


私は、白玉をつく場所を1mmぐらいずらして、ほんの僅か、球の軌道をずらす。

そして、M社長が、次にゲームを進めやすい場所に白球がいくようにする。とても、とても、長い時間に感じました。

「ナインボール」というゲームでしたが、やっと、M氏が、9番のボールを入れることが可能と思われた時が訪れまして、

「やっと、終わる。」ニヤリ

と安堵した時に、信じられないことが、起こりましたびっくり

M社長の打った白球が、僅か、隅のポケットの1cm手前で、9番のボールが止まってしまったのです。

つまり、私が、コツンと白球を9番のボールに当てれば、インストラクターの私の勝ちとなる状況です

私は、考えましたね。どう、このピンチを乗り切るか?ガーン

「君の勝ちだな。」グラサン

時間稼ぎは、許さないぞという意味が込められているように感じました。


業界ルールを破って、開きなおるか、或いは、何か、そのルールを守る工夫を考えるか。


私は、一か八かの勝負に出ることにしました。


9番のボールに当たるはずの白球に強烈なバックスピンをかけたのです。


これは、白球の真ん中ではなく、それよりも下をキューで突くと、狙いの玉に触れた瞬間に
白球が逆方向の手前に、戻ってくる技です。

その結果、9番のボールは、ポケットという穴に入りました。
 
そして、その後、白球は逆走を始め、反対側のポケットに、運良く、ストンと落ちました笑い泣き


9番のボールが、ポケットに入っても、白球が同時に落ちれば、無効となるルールが、ナインボールには、あるのです。
そして、次のプレイヤーが、定位置に置いた状態で、白球を突くことになります。

 
そして、M社長は、いとも簡単に9番のボールをポケットへ


この1戦のゲームから、M社長は、学生であった私を特別に可愛いがってくれるようになるのです。

詳しいことは、またの機会としますねウインク


実は、本人から、後に聞いた話ですが、M社長は、私を試したのです。

それは、

「その業界の大切なルールを守れるか?」

をです。

ギリギリのところで、ルールを守れるかどうかが、その業界での、その人の評価となる。守れなければ、パジケ(?)を余儀なくされる。


今でも、私には、耳の痛い話ではありますねてへぺろ


私はこの時、苦肉の策で、何とか、ルールを守った結果、どうなったかというと

新潟の多くの方々に引き合わせて頂き、紹介してもらいました。

当時の大手ビリヤード会社のフロアボーイから、
古町という中心街に、1つの小さなビリヤード店の学生店長を務めさせてもらうことになります。


お店の名前は、「ワシントン・クラブ」
私が、名前を付けさせてもらいました。
ダサい名前でしょ。今の私なら、もう、少しだけ、素敵な名前をつけられる自信があるのですがねウインク

今でも、こんな思い出の時が、私の人生の原点なのだと感じます。


「ルールを守ることが、自分の業界での信用となり、守れなければ、業界の中で、四面楚歌の状態となる」

つまり、ルールを守るという信用が大事ということですね。頭では、理解できても、行動を伴わせることは、ときに、難しいように感じます。


それでは、またバイバイ




医学博士  小笠原  均

新潟大学医学部  H4年卒
リウマチ学会 評議員、専門医
内科認定医
緩和ケア資格医


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