私は現在51才です。
20才の時はこんなに「シュッ!」とした姿でしたが、
現在はこんなにも太ってしまいました。
良い人からは「恰幅がいいね♪」とか「貫禄あるね!」とか言われ、
また家族からは「足広げて座っている姿がプーさんみたい♪かわいい♪」とか言われていますが、
はっきり言っちゃったら「デブ」です。(言っちゃった!)
そう「肥満」なんです!(みんな正直に言わないけど)
今週は連休(火・水)でした。
特に予定がなかったので、
火曜日は洗車や買物をして、余った時間は録画番組やユーチューブを見て過ごしたんです。
そしてその日の夜、寝入りばなに、先ほど書いたことが頭のなかに浮かんできたのです。
それで
「痩せなあかんけどどないしょ」
「食事制限は何度も挫折してるし、かといってこれから絶対減量してやる!っていう覚悟もないしなぁ」
「とりあえず体を動かそうか」
「そうだ!ウォーキングしよう!」
ならどこでする?せっかくだから近くで観光しながらウォーキングできるところないかな~」
「そうや!以前にブラタモリで「彦根城」の放送してたな。あの城は一度見てみたかったし」
「そうだ!彦根城に行こう!」
と言うことになりました。
出発は朝10時すぎ。万歩計をリセットしてズボンのポケットに入れていざ出発!
彦根城マップ
1時間半ほどで到着。
たまたまマップに青字の「P」マークが堀のなかに3つありますが、
その右側のPに駐車できました。
そこから反時計回りにウォーキングを始めます
まず最初は駐車場の横にあります「玄宮園」のいう大名庭園です。
(※以下これからの説明文は、2019年 公益社団法人 彦根観光協会 /
彦根市観光企画課が作製されました彦根観光ガイドからの説明文を一部転載しております。
彦根城観光をおすすめしたいので皆様にわかりやすい説明をしたい趣向です。どうぞご了承ください。)
【玄宮園】
城の北東にある庭園で、4代藩主直興により延宝5年(1677年)に造営されました。
毎年9月中「観月の夕べ」が催され、大名庭園ならではの趣が味わえます。
【鳳翔台】
玄宮園内の築山に建つ趣のある建物。かつては、藩主が客人をもてなすための客殿でした。
この鳳翔台から眺める玄宮園の美しさはすばらしく、庭園を鑑賞しながらの薄茶(お菓子付¥500)の味わいは格別です。(9:00〜16:00)
※こういった観光地では妻と一緒に行くときは必ずいただくのですが、今回は私のみだったのでスルーしました。
景色がいいので皆さん写真を撮ってはりました。
平日はすいていて、観光におすすめです!
【楽々園】
槻(けやき)御殿は藩主の下屋敷で、玄宮楽々園の名で国の名勝に指定されています。
四代藩主直興が延宝5(1677)年に造営。
大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、工夫を凝らした部屋が残っています。
楽々園の名は「山を楽しみ水を楽しむ」「民の楽しみを楽しむ」という心からと言われています。
12代藩主直亮が文化年間(1804-1817年)に佐和山や内湖が見える楽々之間を造ってから
槻御殿という正式名より、楽々の名が有名になりました。
※建物内も一部入れました。昔の屋敷は大好きなので室内に入って見回るのはいいものです。
【梅林】
かつて、彦根城の公儀御用米の米蔵があった場所。
例年は、3月中旬から下旬にかけて、紅梅・白梅など約450本が春の訪れを告げます。
彦根城が新日本観光地百選に選ばれたのを記念して、この梅は植えられました。
※まだ咲き始めでしたが、大変綺麗でした。
ほら。きれいでしょ!
もうすぐ花見だ!酒が飲めるぞ~!
これで、午前の部は終了し、
昼ごはんを食べに「夢京橋キャッスルロード」に行きました。
お店は、千成亭 麺匠 ちゃかぽん というお店に
https://yumekyobashi.jp/shop/chakapon/
こちらで赤鬼うどん「2代目直孝(1220円)」を注文
おいしかったです
さあ、これより昼の部開始です。
入口の橋のたもとにはこのような石碑が
橋を渡り入口を抜けますと
右側に「彦根城博物館」が。
もちろんこちらにも入館しました。天気が悪く曇ってて、たまに雨も降り
天候が悪かったため、観光客はまばらでしたので、一つ一つ説明文を読み、
ゆっくりと鑑賞できました。
能舞台です。これも現存しているようですね。
どんな人が舞われたのでしょうか?
井伊直弼も?
こちらの博物館は「表御殿」だったところに建っておるようでして、
一部の御殿に立ち入ることができます。
当時の建物のうち一部しかないようですが、残された屋敷には綺麗な庭園もありました。
清々しかったです。
1本の梅の木
いまの一戸建てにこの庭は作れないな。
部屋も撮影できましたけど、撮りませんでした。
続き間ばかりで全部一緒に見えそうだから。
博物館もすべて見て、さぁこれから本丸へ!
まず、のっけからこのような急坂登場!
この坂は、敵が早く登れないように急こう配にし、
なおかつ、踏み段の高さや次の段までの距離を不規則にしてるらしい。
考えてますな!
【天秤櫓】
表門から坂を上がって行くと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。
この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤櫓です。まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。
日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。
また、橋は鐘の丸から渡され、廊下橋と名が残っています。今は架け橋ですが、往時は両側に壁があり屋根のある橋でした。中の人の動きが外からは見えないようにしてあったといわれています。
この櫓にたどり着くまでに、この櫓の下から3~4回、
回らないと櫓の橋までいけないようになっています。
ものすごく考えてます。
立派な櫓です。
3,4回敵がまわっている間に全滅できなくてこの橋まで来たら、
最悪火を付けて橋を焼けば敵は入れなくなる。
考えてますな。
到着しました。本丸です。(ひこにゃんは居ませんでした。看板だけ)
入ります!
【天守】
天守は約40帖くらいでしょうか。
現存する数少ない城の天守です。
当時のお殿様も間違いなく登ってたんでしょうな。
観光客少ないでしょ
土日じゃなくて良かった!
国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なります。
また、破風は変化の妙に富んでいます。
天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、
二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられています。
この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさは見逃せません。
彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、
表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正な佇まいを見せます。
逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。
また、一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。
この時は、雨と風が強くて奥に見える琵琶湖も波が立ってましたよ。
春に来ると桜も咲いてきれいでしょう。
もしタイミングが合って、春来れるとしても、絶対に土日は来たくない。
ガヤガヤしてそうだし、
私的には静かな雰囲気の方が、城もいい感じ。
その方が平和って気がする。
城観光は平日がいちばん
さぁ帰るとしますか
【太鼓門櫓】
本丸への最後の関門である櫓。
太鼓門を見ながら仰ぐ天守雄姿は格別だそうです。
帰りの坂を降りていく
最後に「井伊直弼大老像」を拝見しました。
あらためてマップで確認すると、ほぼすべてを廻りました。
歩数にして約12,000歩でした。(ゴルフ1ラウンドくらいかな?)
帰宅したのは午後5:30頃
観光しながら歩いたので心と体はスッキリ!
つい冷蔵庫のなかの缶ビールに手が届く。
そしたら妻が、速攻で
「お父さん。痩せるから歩いてくるって行って、帰ってきてすぐにビール飲むん?!」
その返事が
「うん。わたくし今もって成長期なんで」
ダメだこりゃ!
懲りずにまたウォーキング観光したら書きます。