この日は西へ
72年前、文字通り焼土と化した土地に降り立った。
朝鮮情勢が緊迫する中、この土地に降り立つというのは感慨深いものがある。
今回、会いに行った私の大叔母も被爆した1人であり、当時の事を知る少ない人間の1人だ。
この日、大叔母に会いに行ったのは被爆体験を聞きにいくなどとつまらない目的などではなく、少しばかりおいしいご飯を食べて楽しくおしゃべりするという目的だ。
とはいえ、最近の北朝鮮のこともあるので、自然と原爆の話になった。
初めて聞いて驚いたのが、原爆の少し前、原爆当日前後に長崎で爆撃があるから、一般人は避難するようにと米軍が空からチラシを撒いていたということだ。敵国が撒いたものなんて信用ならないので、実際信じた人はいなかったみたいだが。
大叔母は爆心地から離れたところにいたので、背中に少し熱を感じた位で済んだのらしい。
大叔母は市内の高校教師だったこともあり、その日のうちに同僚や生徒を助けに学校にいったのだという。
その道中、浦上から被爆者達がが列をなして歩いて来ていたらしく、その風貌は熱湯をくぐって来たのかと思う位赤い皮膚をしていて、それが相当怖かったという。
学校についたら、ケガ人のうめき声、建具に挟まれた人の助けを求める声、悲しみに泣く声、建物が燃える音など、いろんな声や音が聞こえていたみたいだ。
感傷に浸るとこも少しあったが、楽しい食事、おしゃべりが終わり、ちょっと観光してご飯を食べ終電で実家に帰った。
そしてここからが、1番書きたかった所。
長崎にいったせいか、原爆の話を聞いたせいからか、何か一緒に付いてきたか知らないが、夜とても怖い夢を見て目を覚ました。その時に何か見えてはいけないものが見えた気がした。汗💦
自分は原爆について憐れみの気持ちもあるし、小学校の修学旅行では慰霊の千羽鶴折ったのに。
こういう事されるのはお門違いだ。
