「クラヴィコード・特別な会」のご案内を申し上げます。

 
下記の「音楽☓玉露」が、両国の回向院にて、家庭画報セブンアカデミーの主催で開催されます。
是非、お運び下さいますよう、お待ち申し上げます。

(8月1日発売の『家庭画報9月号』より)



【寄稿】

内田輝さんのクラヴィコードの生の演奏を初めて聴いたのは、2021年3月のことでした。 

 それは世界的な芸術写真家・山本昌男氏の写真集"Sasanami"(フランスのIIKKI社より出版)とのコラボレーション記念ライブで、CDおよびレコードに参加されている坂本美雨さんも出演なさいました。 

 生まれて初めて聴いたクラヴィコードの音色。

その繊細な、まるで天上の音楽のような美しさにすっかり魅せられ、それ以来少しでも多く生のクラヴィコードの響きに触れたいと演奏会に足を運んでいます。 

 内田氏の解説によれば、クラヴィコードは14世紀にヨーロッパで生まれた楽器。他の楽器とのいちばんの違いは、「人に聞かせるため」ではなく、修道士が神と対話する上で、神さまに捧げるために演奏した楽器だということ。 

 日本人である内田氏がクラヴィコードという西洋の楽器を製作し、演奏することの意義を彼は「東洋と西洋を繋ぐこと」とおっしゃいます。

そう、内田氏は1000種類もあるクラヴィコードの部品を、すべておひとりで手作りされているのです! 

 約1年に1台のペースで製作している内田氏のこの意志を最も端的に表しているのが、彼が「シルクロード」と命名したクラヴィコードでしょう。 

 数十年に一度張り替えられる京都・清水寺の舞台。その舞台板の古材を用いて作られたのが「シルクロード」です。 

 内田氏によると、その舞台板には「奉納」と書かれているものもあり、彼はその板に込められた「祈り」を汲み取りながら、全身全霊を捧げて「シルクロード」を製作されました。 

 内田氏はよく、「すべての音は平等である」とおっしゃいます。

彼の音楽も、この世に存在する音のひとつにすぎないと。クラヴィコードの音色は繊細ですが、それを耳から聴こうとするのではなく、振動として身体で受けとめてほしいといつも言われます。

「音を聞きにいくのではなく、音が来るのを待つ」と。 

 そのような「音」との接し方をとおして、この世にある音の豊かさに気づくきっかけを内田氏のクラヴィコード演奏は私たちに与えてくれるのです。  ある時、北鎌倉の浄智寺での演奏会でとても不思議な体験をしました。

書院の障子をすべて開け放ってクラヴィコードを演奏されていた時のこと。 

 内田氏が演奏を始めると、浄智寺の庭の鳥たちが一斉に囀り始めたのです!それはもう明らかに鳥たちがクラヴィコードの音色に喜び、呼応して鳴き始めたとしか思えない体験でした。 

 内田氏の音楽に出会ってから、今まで気づくことのなかったこの世界の美しさと豊かさに気づくことができました。 

 私が内田氏のクラヴィコードの響きに対して持つイメージは、太古の時代の森の奥深くに、人知れず存在する洞窟からしたたる水滴。

ぽとぽとと滴るその一滴一滴が、私たちの心を浄化してくれる清らかな水滴。

 一方で、ある楽曲からは、シルクロードの砂漠に吹く突風や、市場で売られている色とりどりの布をイメージすることがあります。 

 こんな風に、私たちの想像力を掻き立て、DNAの中にある記憶を呼び覚まし、私たちを「時空を超えた旅」へといざなってくれるのが内田氏の音楽なのです。 


  10月2日、回向院「念仏堂」の千住博画伯による「浄土の滝」の襖絵の間で演奏される内田氏。過日、NHK「日曜美術館」にて偶然拝聴した千住画伯のお言葉が印象的でした。

正確な引用ではありませんが、それは下記のような主旨でした。 

 「真にすぐれた芸術とは、私たちの想像力や記憶に働きかけるものである」奇しくも、これはまさに内田氏の音楽そのものです。 

 山奥のささやかな湧き水が山肌を流れ、やがて大きな水流となって流れ落ちる滝。

「浄土の滝」の間にて、内田輝氏のクラヴィコードの響きを浴びるひととき。

それは稀代の画家と稀有なる音楽家が邂逅する時空。


 演奏会に先立ち「念仏堂」1階にて流麗な手前により振る舞われる玉露。  

音のしずくと玉露のしずくに癒され、浄化される至福の時間をひとりでも多くの方に体験していただけるよう、願ってやみません。(祥恵)


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