私は親が健在な時は、
初詣(数カ所)、お墓参り、おばあちゃんちに行くのが、習慣になっていました。
はっきし言って、だるかった(笑)
親戚に会えたりして楽しい一面もあるんだけど、
義務でしかなく(母親主導
)しかも初詣はすごい人ごみで、それだけで苦痛でした(~_~;)
でも今思えば、どうせならもっと楽しめばよかったと思います。
私はどうも思春期以降、楽しむことが苦手だったんですね。
なぜかと考えると、いつも根底に
▼どうせ自分なんて自分なんて自分なんて…(-_-;)
と呪いのようにいつも思っていたから(笑)
いつも不満ばかり(そりゃそうだ)
それでも、楽しい時は少しはあってどういう時かと言うと
・好きなマンガ、映画、音楽、ライブに没頭してた時(現実逃避)
・気が合う人と楽しく話したり、遊んでいる時
でした。
これって言ってみれば「条件付き」「限られた状況」なんですよね。
私は常に、受け身で、流されるまま生きてて、
自分で考えて自分で何かする、ということを全然していなかった。
で、楽しくなるのは
・誰にも邪魔されず、自分が好きな世界に没頭する、か
・人が自分に都合のいいことを「してくれた」時
日常生活を楽しんだり、自分で何かやって楽しむということは皆無。
自己否定が強すぎて世の中、人生、全てに希望か持てなくて。
無気力、厭世観の塊(笑)
まさにカオナシみたいな人生でした。
そのカラクリは
▼自己否定=喜びや幸せを外部要因に求めていた
からだと思うんです。
自分の内側で、喜びや幸せを感じることができなかった。
(感じられることを知らなかった)
▼喜びや幸せは、他者からもらえるものだと思ってた
だから、もらえないと、
▼どうせ自分なんて…だから、誰からも相手にされないんだ
というループに陥る。これをやっているとウツになります(現になった)
そうではなく
●喜びや幸せは、内的要因からくる、と知る
これが重要です。
↓過去メルマガに詳しく書いてます
中を信じきる
http://archive.mag2.com/0001604253/20130720080000000.html
これは「自分で自分を満たす」ともリンクしますよね。
私は、自分の価値観(定義)を
「自分を満たすのは自分」「喜び、幸せは自分の中にある」へ書き換えてから、
少しずつ日常を楽しめるようになってきました。
これができると「今に集中する=今を楽しむ」こともできる。
昔は、過去、未来、人のこと(人が自分をどう思っているか)ばかりに気をとられて、
今に集中できなかった=今を楽しめなかった。
人生は「今」の連続なのに。
だから、私の人生は、おもしろくないどころか、最悪でした(笑)
つづく。
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http://archive.mag2.com/0001604253/index.html