月が綺麗ですね! ……って昨日書こうとして、眠気に完敗した穂積です。
昨日はこっちも曇ってたけど、短時間だけ見れたのに。10時頃から舟漕いでるとか。気がついたら12時過ぎてるとか。
さて、今日は雲の6・THE BURDEN(重荷)。
重荷と言うと火の10を思い出します。雲の6もまた負けず劣らず。
すごいの背負ってる!!Σ(・・;)
疲れきった人の上に、えらそーな人と雄鶏が乗っています。下の人に山を登れと指示してるみたいです。
なんというか、あれだな。少年格闘漫画にたまにある、「そろそろ本気を出すか」とか言ってすっげー重いリストバンド外すみたいな。「そんなものを着けて戦っていただと……!」みたいな。
でも、この人たちが格闘漫画に出たら……「うん、いいからその上の降ろせ……?」って言われると思う。優しく。もう格闘漫画と違う。
上の人は棒(ワンド)を持っています。ってぇことは、本来の行動力を持ってるのはこの人なんでしょう。下の人ではなく。
立派な服を着たえらそーな人だからと言って、言われるがままにしていれば疲れます。何せ上の人は疲れていないので、下の人が疲れてるとか思ってません。ああしろ、こうしろ、と呵責なく命じてきます。
そういう人が実際に肩の上にいれば、ほとんどの人が背負うのを止めるでしょう。っつーか、乗ってこようとした時点で払い落とす気がする。でもこの人は実際の体には現れない。現れるのは心の中。私たちが「自分の声だ」と思いこんでいる、他人からの影響。
例えば親からの刷り込み。
友人の一言。
悪意ある人からの心ない言葉。
TVで見たショッキングな映像。
本に載っていた効率的な生き方。
今はもうないのだけど覚えている、心の傷から自分を庇う方法。
毎日毎日いろんな物を取り込んで、もう何が自分のものなのか分からない。
カードで登っている山自体は、火の2や火の8で見た山と通じる感じがします。あの時登ろうと決めた山です。
でも何のために登るのか、どうやって登るのか、そういうことを見失って他人に任せちゃってる。多分本人にはそのつもりはないんだけど、他人の目的意識、他人の方法で自分をどこかに行かせようとしている。
例えばまあ、お金が欲しい。恋人が欲しい。ダイエット成功させたい。
それはなんでかって言われれば、そうしたら幸せになれるはずだから。根拠は、親が、友人が、TVが言ってたから。それが常識だから。
お金も、恋人も、適度なダイエットもとても素晴らしいものです。
でもそれを得ることによって掴めるであろう幸せの根拠を、自分ではなく他人に任せてしまうと、不思議なことが起こる。幸せになるはずなのにならない。じゃあもっとお金があれば、もっといい恋人がいれば、もっと痩せれば……でもやっぱり幸せだと感じない。こんなはずじゃない。じゃあもっと……。
もっと、もっと、と言っているのは本人ではなく、上に乗っているえらそーな人かもしれない。
この人を降ろしたら、指示してくる人がいなくなる。どこへ向かえばいいか分からなくなるかも知れない。
では、降ろさなければ? もっともっと、という声に逆らわず、体力も気力も尽き果てるまで頑張り続けたら、結果得るものと失うものは?
ちょっと考え方や環境を変える必要がありそうです。
出方が悪い場合は、思いこみや固い考え方に固執して、柔軟さがない感じが窺えます。
「それ降ろしなさいよ」って言われても「何も背負ってないよ!」とか「背負ったままでいいんだよ!」とかキレる感じ。
どうせ登山するなら、もっといいもの持っていきたいですよね。
お弁当とか、防寒具とか、一緒に頑張れる仲間とかね。