被災地のみなさんにお見舞い申し上げます。
さて、冒頭でそういうことを申し上げますのはこのところの寒暖差も相まって。
2011年の東日本大震災の時を思い出しております。
たまたま、Facebookでその時の福島県の映像を見た数日前。
人の力と想像を遥かに超えた自然災害にはいつなんどき、どこで遭遇するかはわかりません。
常に用心して何かしらの準備を心がけ、備えは十分にしておくことが肝心だと思いますが特に、寒さ対策は非常に大事だと思います。
とはいえ、何を優先順位とするのかは難しいところ。
まずは食料、水、寒さ対策、火おこし関連、トイレといったところでしょうか?
足りている時には気にも留めないこと。それを考えるのは難しいですが、困ったことがあるならご理解可能だと思います。
僕は東日本大震災の時、育った施設に食料支援をいち早く。
といっても店にあった自分用のカレールー(実はカレーが好きで自分で作ることが多いのと、簡単なので従業員の賄い用にかなりの数を「意識せず」備蓄になってしまった数量)と、かに缶、そして市場でアメリカ産の玉ねぎを30kg購入、スーパーやドラッグストアでインスタント食品を買い漁り、当時は原付🛵しか免許が無かったのですが雪の積もる道路を走り、坂道ではバイクごと滑り落ちながらも立ち上がり、バイクを押し上げ、徒歩で届けたり…と、まず子供たちに‼️との思いで必死になって運びました。しかしそれも長くは続きません。
お店は営業できない日が続いていたので時間はあれどお金は出ていく一方。
そうした中、当時は激しい風評被害による影響もあり、急転直下の事態に陥り、その影響が長く続いたことで今も四苦八苦しております。
それでも、気持ちとしてはおさまらないというか、困ったことがあるならご理解可能と思いますが、そんな時は誰も都合よく助けてはくれません。
自分のことで精一杯なのが人。
そもそも、同じ環境下にあって困っているのは皆同じ。
とはいえこれでも事業主。社会の役に立つ事を考えるのは当然。
まずは足元…身近なところや思いつくところから。
ということで当時は従業員にも僅かながらお店の備品を分けました。
今は被災地の生産物をみなさんにご協力いただく形でお店の商品として盛り込んでおります。
自分は…というと、その施設暮らしがあったおかげで我慢が効くため、特に自分自身の心配はせず。
そういう事で東日本大震災の時は自分用食料は全て供出しました。
まあ、山(実家…自宅が建っているところ)に入ればそこそこの食料は採取可能ですし、昭和前期に建った我が家には昔使用していた反射式ストーブと火鉢があり、一応の暖を取ることが可能でしたし、今もお隣さんが引っ越しで置き土産とした薪ストーブを使用中。
昔の家なので、煙突の穴がメガネ石ごと残っており、冬場の暖は特に費用もかからず導入した薪ストーブによってこの苦境を過ごせております。
ちなみに薪も手間はかかりますが入手可能…どころか、過分な幸運によって有り難く頂戴しております。
そんな中、これは運の循環みたいなものかな⁉️と思いつつ、今できることをどこかの困った人たちに返すことを意識しております。
ですから今この時にも稼がねばなりません。
他人の心配をしている場合…状況…ではないにしろ、です。
ただし、できることから。
ガバねね。

これは僕の母校「金足農業高校」の、僕が生まれる以前の写真。
大工だった父が仲間の仕事…近況報告でいただいた写真のようで、裏にコメントが書き込んでありました。
これはコロナ禍初期、何人かに昔の写真を紹介、みたいな投稿に使用するため探していたところ、発見した物です。
僕はボクシング部に入る‼️という意識でこの高校を選びました。
結果、面白いことが起きたりしております。
おそらく、プロボクシングを志していなければ東京の鮨会社に就職することはなく、ふぐにも巡り合いませんでした。
また、後輩に世界チャンピオンが誕生するなど、想像もしていませんでしたが、自分が世界チャンピオンになれないと知るのはそう遅い時期でもありませんでした😅
そして世界チャンピオンの卵だった後輩のミット打ちを一度、指導したことがあり、パンチを受けましたがその時‼️
「モノが違う…」と実感しました。
ちなみに格闘技歴は多く、幾多の世界チャンピオンを見てきましたが、卵は初めて。
つまり、鍛えて強くなるのは強い素材あっての話…と感じた次第。
なるほど、こうした実力差がわかるようになっただけでもいい勉強をしてきたんだな、自分…とか思っています。
やはり高い基準は持つべきで、それは踏み込んだ経験に基づくもの。
困ったことがあるならご理解可能…というのもその一環だと思います。
想像するだけでは理解不可能なこともあります。
ということで、今日もみなさんに庵河豚…お店でお会いできたら嬉しいです。
ガバねね。