インナーチャイルドをいやすという感覚を初めて体験した私の脳裏には、それまで見たこともない夫を亡くし葬儀の手配などに動き回る母が私の目の前を全く私のことに構うことなく通り過ぎていくすがたがみえた。“若い!!”母の30台の姿をリアルに感じた。その眼は泣きはらしていたように見えた。それはそうだよな、かわいそうすぎる。こんな感情も母に対して初めて感じた。

幼い私にそのようなことはわからず、ただ絶望と大人への不信感が大きい傷跡として私の心にきざまれていた。

そこからはインナーチャイルドの癒しのプログラムも簡単にできて、随分と心が楽になったと感じられた。

今は無き母に思い出す度にごめんねと言い続けている私がいる。

 

そんなことがあってしばらくしたら、また胸の内に固いものが湧き上がってきた。

まだあるぞ、そう思い私の中に残る子供時代の記憶を手繰り寄せていた。

 

母の財布からお金を盗って、ははにこっぴどく叱られていたことを思い出した。その時の母はとても怖い顔をして、私を叩いたり、つねったりしていた。そして、お金は大事だということを言い聞かせていたかのように思う。

また、その時の自分のことを感じてみたら、私はまた、失望していた。母は明らかに私よりもお金が大事だと言っているように思えた。

そんなつもりではなかったと思うのだが、私にはあなたなんかよりお金が大事なんだととくとくと言われていたように感じた。ああ、母は私よりお金が好きなんだ、私のことは嫌いなんだ・・と感じていたんだな、たぶん。と、思った次に瞬間、大きなことにかが付いた。私はそのあたりでお金にやきもちを焼き始めていたんだ!

だから、お金に対して、じぶんが大切にすることが出来なかったんだ!

 

この気づきは私にとってとても大きなものになり、それからは長年の勘違いを母とお金に誤っているところなんですよ。

 

お金を手にしたら、無意識のうちにてばなす癖が私にはあるんだということを自覚し、注意深く今さらではあるけれどお付き合いを始めている。

 

62歳の今日だけど、自分の意志でお金を1億円貯めたい、生きている間に。

 

何の資格もないし、なんのとりえもないただのおばあちゃんだけど、孫もいないし厳密にはおばさんでいたい。ありえないことで大きくこれからの人生を納得して歩いていきたい。

 

そんな風に考えたのもこのとしになって初めて。

一応90歳くらいまでならまだ30年はあるぞと思っている。