今まであんまり時間というものをそんなに意識をしたことがない。
きっと生まれて初めての経験。
もう夕方の4時くらいから時計ばっかり見ている。
特に7時を過ぎてからは、もうじっと睨めっこ状態。
由梨のレッスンが始まるのは、7時45分。
彼女がいつも現れるのは、平均すると7時39分くらい。
もちろん毎回日記に書いたりとか、ストーカーのようにじっと彼女を
監視しているわけでもない。
とはいえ、まったく適当に時間を算出しているのでもない。
これまでの記憶を辿った結果の数字。
私にとっては、マドンナのような存在。
それほど大きく狂うことはないはず。
「北川さん。今日は俺残ったげるから、たまにははよう帰ってもええで」
「いえ、いいですよ。今日も少しフォローの電話する予定ですので」
ディレクター―――学校の責任者である浅田が私に気を遣ってくれたんだろう。
でも、そんな気遣いは全く無用。
口から出まかせの大義名分をこしらえた。
「ほんま、北川さん。見た目はすっごいええ加減やのに、熱心によう働くなぁ」
「有難うございます。浅田さんみたいに能力がないから、人よりも時間多く働くくらいしか
芸がありませんので」
「そうか。ほな、今日も北川さんに頼んでええんか?」
「もちろんです」
「ほな、先にまた帰らしてもらうわ。あと宜しく」
「お疲れ様です」
浅田はいつものように背中を曲げた格好で、ゆっくりと私の視界から消えていった。
♪キン・コン・カン・コ~ン♪
7時40分。
前のレッスン終了のチャイムが鳴った。
まだ由梨は現れない。
レッスンが終わると、一斉に数十名の生徒さんが教室から出てきて、すぐさまこの学校を
後にする。
そして、この5分の間に45分からレッスンを受講する生徒も約数十名一気に現れる。
この学校の最も忙しい時間帯なのだ。
いつもなら受付カウンターに座り、生徒さんの対応をする。
いや、しないといけない。
にもかかわらず、私はカウンターから離れ、学校の入り口のほうへと向かおうとした。
「ちょっと北川さん。どこ行くん?」
女性スタッフの川野が私を思わず呼び止めた。
「すんません。ちょっとトイレ買ってきます」
意味不明な回答をし、逃げるようにその場を離れた。
「こんばんは、北川さん。こんなとこで、何したはるんですか?」
由梨だ。
彼女がいつものように、どんな美しい星よりも輝きを放つ笑みを浮かべていた。
「由梨さん。今日、レッスン終わってからデイヴが飲みにいってほしい言うてるんです。
是非一緒に行ってほしいんですけど」
完全に、自分がこの学校のスタッフであるということを失念していた。
またいくら目的達成が第一義とはいえ、かなり卑怯な誘い方をしたもんだと自分でも
心の中で舌を出してしまった。