これまでの記事を読まれたら、筆者の学童保育における視点が保育には無いことがわかっていただけるかと思います。
ほとんどの記事で支援とは何だろうか、どう支援すべきなのかを書いてきました。
その支援は、学童保育の本来の目的である育成支援はもちろんですが、ただの"子ども達の健やかな成長のためのもの"ではありません。
神経発達症(発達障がい)の診断がある児童、診断には至らないが困難感のある児童、受診や発達支援にすら繋げられない困難事案、子どもの生存権、人権。
母子家庭、父子家庭、貧困世帯、虐待、親の発達特性や疾患、倫理観、親への支援。
少しの支援で自立をしていける親子より、やはり自立していけない親子への支援へリソースが割かれる現実。
こんなの福祉でしかないですよね。児童福祉です。
保育=福祉か、保育<福祉ですよ。
そもそも親の保護や養育から毎日数時間離れる子どもの育成を担うというのは、福祉的な支援ですよね。
土曜日や夏休み、冬休み、春休みになると8時間~10時間を週6日なんて子どももざらにいますからね。
家庭保育って何なんだろうと本当に思います。
さらに児童福祉だと確信したのは、今夏一部でネットニュースなどにも取り上げられた、夏休みなど長期休業中の昼食提供の話です。
食中毒予防などの観点から筆者も反対ではありませんが、単純に様々な理由(困窮世帯、時間がない、手間など)で自分の子どもに昼食を用意できないのを支援している印象なのです。
サービス提供というより支援に感じるんですよね。
誰かの"出来ない"をサポートするのが福祉というイメージが、筆者の中にあるからなのでしょうか。それとも本当の福祉を知らないからなのでしょうか。
不登校児童への対応も、実際筆者の放課後児童クラブは自治体の福祉課の引きこもり支援の担当者に、どう受け入れたら良いのか相談したり、小学校で支援を担当する先生との橋渡しを担ってもらったりしました。福祉の力を借りたのです。
また、半年前に学童保育連絡協議会に助けを求めたわけですが、「学童保育は療育ではない」と言われています。
しかし、放課後児童支援員への研修で、よく療育技術を紹介されます。
正直本気で保育や発達支援について学ぶ意欲がある者にしか実践は出来ません。
神経発達症の児童への療育同等の対応は、定型発達児への保育とはやはり別物なわけです。
双方に活かせる保育技術、療育技術はありますが、明らかに個別対応が必要な場面では、それはただの保育ではありません。
放課後児童支援員という仕事、なぜ楽しくないのだろう、自分には不向きということだろうかと度々思ってきました。
共に遊ぶ、安全に遊ぶ環境を作るのも大事な育成支援です。
でも遊べばいいってもんじゃない。
子ども達は"ただそこにいられればいい"かもしれない。
でも"ただそこにいられる"ために大人ができることは、やるべきことは山のようにあるはずです。
目の前の子ども達に必要なものが保育じゃなくて児童福祉なら尚更。