しつこく言いますが、学童保育は親が仕事なら預けられる託児所ではありません。
学校教育後、家庭保育に繋げるまでの学童保育です。
児童の人権や発達を一番に考えて、異年齢の子ども達との放課後社会の中で社会性を育む。児童健全育成支援事業です。
しかし、国や自治体は学童保育を説明する時に、託児所というイメージしか発信しないので、保護者や社会一般の認識が託児所になっています。
神経発達症(発達障がい)で子ども本人が困っていようとなかろうと、支援員が困っていようとなかろうと、不登校だろうと、保護者は「仕事があるから預かってもらわないと困る」と言います。
つまり託児サービスが保護者の学童保育に求めるニーズなのです。
のくせ、何かあったら支援員のせいにするのは本当にどうかと思いますけどね。子どもの本質的な問題ですよ、家庭での躾や親の関わりの問題ですよと教えてあげたいですが、そうはいきません。
そして国や自治体が学童保育は託児所だよ~としか案内しないということは、国や自治体も学童保育は託児所で良いと思っているということです。
だから、不登校や神経発達症、虐待リスクに対して対応しようとすれば、「そこまでやらなくていい、頑張らなくていい」「怪我さえせずに親に返せればいい」と言うのです。
その一方で、学童保育とは何ぞやと考え、育成支援を真面目にしようとする者は、本来の役割を果たそうとします。質の向上を目指します。
学童保育連絡協議会主催などの放課後児童支援員の研修会では、倫理観やコーチングなどの専門的でより高度な介入方法が紹介されます。
保育・教育関係の大学教授や放課後デイサービス等で勤める臨床心理士や作業療法士などの専門職による講義がたくさんです。
とんでもなく解離しているの、わかりますか。
ニーズと完全に不一致なのです。
本当なら、学童保育の役割を真面目に果たそうとする連絡協議会や放課後児童支援員が先頭に立って物事を動かせばよいのに、国や自治体がそれを妨げています。
そして託児所としか思っていない保護者は、託児してくれないとクレームをつけるのです。
ここで支援とは何かに立ち返りましょう。
看護も介護もそうですが、支援が成り立つためには、支援される側のニーズと支援する側の介入がマッチしなければいけません。
対象者が望んでいないのに、こうすることが最善なんだ!と思ってやっても、それは支援とは言いません。
…と、いうことは?
我々放課後児童支援員が、どんなに子どものためを思って育成支援をやろうとしても、託児所としてのニーズしかないのならば、学童保育は託児所でしかないのです。
ならば、質の向上は諦めて、研修なんてわざわざ受けて高い理想だけ叩きつけられるのはやめて、神経発達症で互いに起こる不都合も、不登校になっていく様も、ただ見守る。
ただそこにいられればいい。命さえあればいい。
遊んで「あー、楽しかったね。」と一日一日を過ごせればいい。
宿題の空欄さえ埋まって終わっていればいい。
それ以外何も見なくていい。
本当に困ってどうすることもできなくなってから手を差し伸べるのが支援だと。
託児所であるという事実を受け入れられないのなら、放課後児童支援員を辞めてしまえ。
質の向上を目指す放課後児童支援員がいらないのなら、ただ子どもと遊んでくれる者を採用すればいい。
そういうことなのだと思います。
そういうことなんですよ!!