親は変わらないし、変えられません。

自分自身だってそうです。

これまでどうやって育ち、生きてきたのかが、ちゃんと今の親として人間としての自分に影響していて、変われません。

保育や教育の分野では、"子どもへの支援より、親への支援が先だ"とも言われています。

どんな子どもも、どんなに保育園・幼稚園、小学校、学童保育所・放課後児童クラブで保育士や教師、放課後児童支援員が頑張っても、結局は家庭保育がどうかというところに起因しています。

おやつや昼食の食い散らかし、行儀、あいさつ、言葉遣い、片付けだって、幼児期に身に付いていないものが学童期で他人からの注意で出来るようにはなりません。

しかし、親は変わらない。


どの親も、必死で生きています。必死で生活しています。

どの親もその親なりに自分の子どもに向き合っています。

ただ、自分の正義が全てで、それがモラルに反していることに気付きもしない人もいます。

自分達が世の中の中心だと思っている人もいるし、自分達に有利になるよう他人や組織を利用しようとする人もいます。

かと思えば、ただただ社会的弱者であることもあります。


親が変わらない現状で子どもを助けるなんて、正直無理です。

学童保育ではどうすることもできなくて、詰んでます。

本当にペアレントトレーニングしてほしい親子が多いです。

きっと児童相談所なども同じ、もっと過酷な状態で詰んでいるのかもしれません。

状況が詰んでる中で何ができるか。

それは学童保育として、社会性を身に付ける育成支援として、社会で生きていくために必要なルールや道徳心、倫理観など、全うなことを子ども達に伝え続けるということでしょう。

そして10年後、「あれ、これまで親が全てだったけど、親も一人の人間だ。」とか「親の言うことだけが全てじゃない。」と気付ければいい。

上手くいかなかった時に、「学童の先生、あの時こう言ってたな。」と思い出せればいい。

気付いて、自分の歩む道を自分で選択できればいい。

もうそれしかないのではないか。

それしか学童保育の意義として見出だせないのではないでしょうか。


どうしたら子どもを助けてあげられるんだろう。導いてあげられるんだろう。

…怒りや虚しさ、諦めを通り越して、ただただ悲しいです。