冒頭に書いた教育的側面について。
学校教育を受けないからといって、学童保育がそのカバーを担えるわけがありません。
学童保育は学習支援の場になっていません。〈48〉では学童は塾じゃないという記事も書きました。〈49〉では学童での学習の限界についても書きました。
そしてどんな質の人間でも働ける放課後児童支援員という職種。不登校児童に何ができるというのでしょう。
一年契約の時給働きに、継続的支援ができるわけもありません。
小学校や発達支援センターと連携できていない学童保育所や放課後児童クラブもたくさんありますよ。
必要機関と連携せずして支援などできるわけがありません。そもそも筆者の自治体のように、不登校支援について大して考えてもいないところもありますからね。
何か自治体としてのビジョンはあるかと聞いたら、「特に無いです。」と言って、そのままですから。
総じて、学童保育は不登校支援の場に現状全くなっていません。
「働いてるから預けたい。」じゃないんですよ。
子どもが不登校になるという段階は、子どもの中で最終段階の最大限の表現なのです。
最終段階に至るまでを知ろうともしない親もいるのです。
子どもの本当の気持ちは、この段階でも置いてきぼりなのです。
そして積極的不登校児童の保護者は、事前に相談をしてくれないことが多いです。
不登校の現実の中、少しでも社会性を、少しでも人との繋がりを求めて学童保育を利用したい。
登校しぶりがある。学童には行きたい気持ちがあるから、学校に行かない日でも利用できないか。
いいですよ。よく相談した上で、どう受け入れるのが子どもにとって良いのか一緒に考えましょう。
現実は違います。
急に電話一本で「学校には行かないけど学童に入れたいです。」とか、急に玄関先で「登校拒否したけど学童には来たいって言うからいいですか。」なのです。
受け入れ体制を整えずして受け入れてよいわけがありません。
積極的不登校の場合、"学校は行きたくないから行かないけど学童には遊びに来る"のですから、ますます学校から遠のくことになりかねません。
低学年の場合は、学校に行かなくても学童に遊びに行けるという誤学習にもなりかねません。
まぁ、親もそう思っているのでどうしようもないですが。
学童保育の本来の役割を認識せず、子どもに何が起きているのかに向き合うこともせずに"学童で過ごす"状態だけを作ってもダメなんですよ。
学校教育での子ども達は、やはり集団の中での自分の役割や周囲とのバランスを毎日の7時間でよく学んでいます。
授業を受けることで集中力や学習意欲、継続力、問題解決能力、社会におけるマナーを身に付けています。
それが欠如する状態で、学童保育という異年齢の空間に混ざった時。
一番苦痛なのは子ども本人なのです。
遊んでもすぐにやめてしまう。語彙力の不足で上手く伝えられない、相手を理解しきれない。
そうなればどうしても周囲から「何なの」と言われてしまうことだってある。
もちろん支援員はそうならないように、助言したり行動を共にしたり、傾聴したり、周囲の子ども達にも同様に介入しますけど、社会性バッチリ身に付きました!なんて成長には繋がっていかないのが現状です。
半年一年をかけて徐々に学童保育からも遠ざかっていくのです。