理想はある。

そのためのやるべきこともある。

しかし質が保てない。

そもそも支援員が足りない。

学校や発達支援センターと連携したいのにできない。

支援員が頑張ろうとしても保護者がついてこない。行政がついてこない。



現状の学童保育の制度設計が続くかぎり、理想と現実の間でいつか必ず交われない一線が現れます。

一般企業であれば事業撤退や事業縮小、廃業などといった決断が迫られるような一線です。

保育や教育が人のために働く業種であるからと、無理に体系維持を続けようとしても、必ず限界がきて機能不全になるだけです。

結果としてサービスを受ける側が不利益を被ることは、昨今の様々なニュースを見ればわかりますよね。

不適切保育、暴言、暴行。学級崩壊ならぬ学童崩壊と言えるところもあるのではないでしょうか。



筆者の放課後児童クラブの場合、その一線は大きく分けると次の5つになります。

①学童保育の本質と国や自治体の施策の解離
②保護者と支援員との意識の差
③目の前の子ども達の発達と支援員のスキルの差
④支援員同士の意識の差
⑤労働と対価の不均衡



全方位じゃん。

①については、〈45〉自治体職員と放課後児童支援員の意識の差として記事にしました。

②~④についてもまた改めて記事にしようと思います。

⑤はこの保育・看護・介護等ではずっと言われていることですよね。人のために働くことこそ高度なスキルが必要なのに、やりがい搾取される職種。


これら限界の一線は、学童保育の質を下げるか否かの瀬戸際、というよりこの一線に気付いた時には時既に遅しなのだと思います。

限界があるということは、必ずどこかで諦めなければなりません。現場の力ではどうにもならないのですから。

そんな壁や限界ばかり見てないで、目の前の子ども達を見れば?と思いますか。

目の前の子ども達にだけ必死になって、学童保育所や放課後児童クラブに通う期間だけ何とか無事に過ごせればOKではないのですよ。

学童期でどんな環境でどんな友達に出会うか、どんな大人に出会うか、どう生きるか、何を学ぶかは本当に大事です。

その後の人生を左右するといっても過言ではありません。

国や自治体の示す基準や施策が子ども達の人権を守るためにも適正なのか、支援員の関わりが子ども達に与える影響、子ども達の全ての根幹である家庭環境はどうなっているのか、その家庭に影響を与える様々な経済的社会的背景とは何か、それらが子ども達にどんな未来をもたらすのか。

目の前の子ども達のその裏、その先を考えることは、放課後児童支援員のみならず、大人の責務であるはずですよね。

そこに目をつむれば、質の向上を諦めれば、学童保育はどんな子だって受け入れられます。その代わりどんなことが起きても仕方ないのです。

学童保育は最長6年、どんなことが起きても在籍期間さえ凌いで、その後は「これからも頑張ってね」の一言で手放せます。

でも子ども達の人生は、そこで終わりではありません。

どうにもできない性質がある。どうにもできない家庭環境がある。どうにも救えない制度設計がある。

子どもに向き合うこと、成育環境を改善することを諦める。

その上に成り立つ未来はどんな未来ですか。