障がい児や発達障がい児を健常児や定型発達児と同じ空間にいさせることを"一緒に遊べるから良いこと""健常児や定型発達児に優しさが芽生えるから良いこと"などという声をよく聞きますが、実際の子ども達のコミュニティがどうなっているか、きちんと見てほしいと思います。

子ども達の中には大人ほど差別や偏見はまだ芽生えていませんから、障がいの有無に関わらず一緒に遊ぼうとします。

これ自体は良いことなのですが、必ず何かが起きます。

ルールを理解できない、守れない、変更する、相手の気持ちを理解するのが難しい、何が悪いかわからない、自分の思っていることを伝えられない、ごめんねなどを表現することが難しいなど、様々なことが全て起きます。

放課後児童支援員はこうなることを想定していますから、遊び始める前にルールを一緒に確認したり、声かけしたり、遊んでいる様を見て、何が起きたかという事実を把握しています。

可能な限り、何かが起きる前に声かけしますし、何かが起きてしまった場合は、一人ひとりの話や気持ちを聞いて、その上でどうしたらいいか子ども達と考えます。

考えて決めて、遊びを再開して、同じことがまた起きるなんてこともあります。その度に介入します。

それが毎日です。

子ども達も大変でしょうけど、支援員は本当に大変です。本気で向き合えば向き合うほど、疲れるのではなく疲弊するのです。

筆者も傾聴は得意ですが、四方八方からの話を聞いても話の筋が見えず、解決の糸口もわからず、子ども達と一緒に困る、なんてことが最初の頃よくありました。



そしてよりはっきりとした行動特性をもつ子どもは、学童保育所や放課後児童クラブの環境自体が合わない場合もあります。

部屋に入ることも苦痛だったり、異年齢と過ごすことが苦痛だったり。

自分の気持ちが相手に伝えられない、伝わらないなんて、人間ならみんな苦痛じゃないですか。

学童保育は社会性やコミュニケーション力を育成する場です。みんなでゲームや外遊びもします。みんなと同じタイミングで動くことが苦手な子にとっては、なかなか大きなストレスがかかっていると思います。

でもそれらに対応する力を持つ支援員があまりいません。学童保育で療育はできません。

少なくとも、「そういう子もいますから」「昔からそんな子はたくさんいる」「最近は発達障がいと言い過ぎだ」などという思考の支援員や保育環境の中で、その子の良いところを伸ばすなんてことはできません。

加えて公立の場合、自治体職員が「子どもをただ見といてくれればいい」と言うところもあるのです。発達支援センターなどの支援機関に繋がれていない学童も多々あります。

定型発達児と発達障がい児が一緒に仲良く遊べたら、そうできるような支援体制がきちんとあれば良いですが、現状はそうではないのです。

そうなれるように声をあげても、誰も聞いてくれないんですよ。時給で働かせているような者に意見されるのが面白くないのでしょうかね。



支援員の障がい児や発達グレーゾーン児への知識・介入技術、支援員へのバックアップ体制などの受け皿が整わないところへ入れると、結局子ども本人にとってストレス環境へ放り込まれます。

ストレス環境下に置かれれば、子どもだって誰だって荒みます。

言動に攻撃性が増します。

必ず傷つけ傷つき合います。

そして親は「学童は荒れている」「学童でケンカばかりする」と言います。

退所します。

学童保育という環境は確かに悪いです。悪いですが、放課後児童支援員のせいだけではありません。

ぜひ、そんな言葉で終わらずに、自分の子どもが退所して終わりではなく、もっと子ども達にとって居心地が良い場所になれるように、成育環境として良いものを目指すのが当たり前になるように、保護者からも自治体などに声をあげてもらえないでしょうか。

組織の中の支援員の声よりも、利用者、住民の声を自治体はよく聞きますので。

よろしくお願いします。



結局表題について何が言いたいのかというと、発達障がい児と定型発達児をただ同じ空間にいることを良しとしてもダメだということです。

やはり一人ひとりの発達特性を保護者もよく理解した上で、実際に入れたとしても、本人にとって居心地よいのか見極めてくださいねということです。

劣悪な成育環境に入れるくらいなら、別の居場所を考えてあげてください。

定型発達児も同じです。

そして、居心地悪いことを学童のせいにして終わりではなく、ぜひ改善するために保護者の力を貸してください。

時給でしてあげられることには限界があります。