今回はちょっと視点を変えて、筆者自身のキャリアとして学童保育をどう考えるかを書いてみたいと思います。
筆者の場合、看護師はなりたくてなったわけではありませんでした。
地球温暖化の研究者になりたかった子どもを、「資格があれば食いっぱぐれないから」と軌道修正させたのは親でした。
様々な事情で自分の意志を貫けなかったことは、今でも後悔しています。
それでも、結局選んだのは自分だと言い聞かせながら大学で学び、看護師と保健師の免許を取得し、看護師として数年間働きました。
患者自身が命にどう向き合うか。どう生きたいか、どう死にたいか。
家族を大事にしてきたか。時に孤独、時に依存、様々な家族の形を目にしました。
どう生きたかはどう死ぬかにあらわれるのだと心底思いました。
また、筆者は恵まれた先輩後輩関係にあったと思っていますが、そうでない場合もありますよね。
いくら命に関わる現場とはいえ、上の立場の者の高圧的な言動などは、看護師のメンタルヘルスを確実に蝕んでいきます。
看護師こそ己の死生観や倫理観、道徳心が問われる職種だと思いました。それを土台として看護観を語るべきだと。
その後結婚と出産を機に10年専業主婦をしました。
子どもを産み育て、幼稚園という子どもの社会生活が始まると、様々なな保護者に会いました。
親になるってどういうことか。
躾とは。マナーとは。常識とは。
マウントする背景にある個人や家族の問題とは。
他人について考えるということは、自分自身にも同じことが問われています。たくさん悩み苦しみました。
また公園の整備や医療費助成、乳幼児健診のやり方など、自分の目で見て体験してはじめて、子育てしやすい自治体とは何か考えるようになりました。
子どもと過ごさなければ見えない地域課題が見えるようになりました。
正規職員離職後の社会復帰のハードルも、非正規雇用の問題も、20代前半では気付けなかった社会構造に関心を持つようになりました。
専業主婦にならなければ見えない世界がそこにはありました。
専業主婦であった10年間も、自分の中では立派なキャリアです。
そして今、学童保育という世界で放課後児童支援員としてキャリアをどう積み上げるかは、自分だけではなく、この職種として大きな課題だと思っています。
看護師だった時に感じた"どう死ぬかはどう生きるか"は、様々な子ども達と向き合う中で"どう生きるかはどう教育されるか"に繋がっていきました。
そして"教育を受ける前提にあるのが保育なのだ"と今強く感じています。
それに気付くと同時に絶望しました。
学童保育を取り巻く環境があまりに悪い。
受け皿の数だけ増やして質が置き去り。
無資格者が保育に入り込める危うさ。
子どもの居場所の居心地より、保護者の事情が優先されることによる子どものメンタルヘルスの問題。
時給と労働のアンバランス。
改善したくても動かない自治体や国。
絶対にこのままで良いわけがないのです。
以前看護師は医師より立場が下とされてきました。それを看護師の知識や技術向上、学問としての確立、啓蒙などで、社会的地位が向上しています。(賃金は追いついていませんが。)
同じ流れを保育・学童保育の分野でも起こさねばならないと思っています。
筆者は無力です。
保育士でも教師でもありません。
しかし他職種だからこそ見る、考える力があります。
様々な発達課題や家庭背景にある子ども達一人ひとりが、自分を大事に、他者を思いやり、自立し自律するために学童保育がどうあるべきかを考え続けることが自分の使命であれと、今は思っています。
今は。
何せ時給なので、いつ学童保育を諦めてもおかしくないのでね。
自分の能力をどこで活かすべきか、常に悩んでいます。