表題に対する現実を、筆者の実体験で綴ってきました。

自分の子どもが置かれている状況や心境をとても冷静に客観的な視点で書いているなと、自分でも思います。自分の子どものことなのに。

批判的な思考の持ち主なので…。

この思考のため、自分の子どもに大事にしているんだよということが伝わりにくいのかもしれないというのは、親になってからずっと考えていることです。

ずっと考えているのに変えられないのは、それこそ自分自身がどう育ってきたかが根源にあるので、とても難しいことも知っています。

人として生き、人を育てるって本当に難しいですね。



さて、今回は同じ表題を「放課後児童クラブの支援員であるが、保護者でもある」という視点で書きたいと思います。

筆者は自分の子どもの学区内の放課後児童クラブに勤めています。

つまり、自分の子どもの通う小学校の子ども達が放課後児童クラブを利用しています。

なので、自分の子どもの保護者として参観日や運動会、個人面談などで小学校へ行く機会があります。

理想は、子どもの同級生の親なり、異学年の親なり皆と仲良くなれたら、より広く児童支援が可能だろうなと思っています。


しかし、現実的に筆者にそれは出来ません。

筆者は仕事も家庭も頑張って、学校行事も頑張ってといったことはできません。そこまでのバイタリティはありません。

基本的に放課後児童クラブを離れれば、希薄な対人関係で生きています。それが自分の心を守る方法なので。

そのため、保護者として学校に行く時はとても憂鬱です。手先の血色が悪くなり、以前は胃を痛めるほどでした。

そんな筆者が、なぜこの仕事を選んだのかは別の機会に書くとして。

放課後児童支援員兼保護者が考えていることを書いてみたいと思います。


〈学校の先生との接触〉

放課後児童クラブとして学校と連携したいので、様々な動きを見せ、チャンスがあれば連携の必要性をアピールしています。

しかし、保護者として学校へ行き、他の保護者がいる状況では何もしません。あくまでも自分の子どもの行事として参加します。

学校と連携したいので話はしたいですが、然るべき場を設けて話すことが、個人情報保護の観点としても、組織としても必要なので。



〈他の保護者との交流〉

先述した通り、プライベートの対人関係がポンコツなので、そもそも出来ないということもあります。

それとは別に、敢えてあまり交わりすぎないようにとも思っています。

放課後児童支援員のスタンスとして、万一の相談窓口としていたいのです。なかなか誰かに相談できない親や子どもの「実は…」「あのね…」を受け止めたいのです。

自分自身に悩みがあって学校の先生に相談したいと思っても、その先生があの親と仲良くしてるのか…という場面を見た時に、この先生には相談したくないなと思ったことが過去にありまして。

上手く言えないのですが、保護者から一歩引いて物事を見ている先生には相談しやすくても、特定の保護者と仲良くしている先生には相談しにくいのです。

自分だけかもしれませんけどね。

積極的に懐に入っていって関係を築くことも大事とは思いますが、自分は一歩引いて、本当に支援が必要な親子にしっかり手を差しのべたい。その時のために平等でいたいといった感覚があります。

「あの人はああだ、こうだ」と流れる保護者のLINEグループに参加する支援員に、だれが相談しようと思えます?自分なら嫌なのです。

対面でも子ども達の話になれば、どうしても「あの子は、あの親は」という会話に巻き込まれます。口が軽いわけではないと思いますが、気を付けることに疲れてしまうのです。

あとはまぁ、自分も所詮人間なので、学童保育の現場から親子関係や保護者関係を見聞きして、交流するのは勘弁と思うこともあります。

人間関係頑張れないんですよね…

なので、人と関わっていかねばならないのに、仕事では頑張るのに、保護者としては頑張れないという、とても矛盾している状態でやっています。

保育・教育、子どもに携わっているなら、地域の子ども会やPTAなどに積極的に参加するだろうと思わないでほしい。

放課後児童クラブで心身共に疲労困憊なのです。

…放課後児童支援員に向いている人材かといえば、決してそうではない。

保育士でも教師でもない。

だからこそ見えるものもある。

見えたからには変えなきゃいけない。

自分の子どもと同じくらい、他の子どもを大事にしたい。

5年後、10年後に生きづらいと思わないでほしい。

ずっと自分を大事にしてほしい。

同じくらい他人にも優しい人であってほしい。

ただの支援員が願うのは、ただそれだけです。