学校は教育機関です。それが昨今の地域社会の在り方が変わっていく中で求められる役割の多様化や教員への負担などがニュースでも取り上げられていますよね。

最近の教師は、発達段階や発達課題、発達障がいやインクルーシブについてなど、どの程度学んで教師になっているのでしょうか。



学校が本来の教育を軸にやっていくのならば、社会性や自主性の面は放課後児童クラブや学童保育がもう少ししっかり担っても良いのではないのかと個人的には思っています。

放課後児童健全育成事業は、学童期の子ども達の社会性や自主性を育むための事業ですから。もちろん学校と密に連携することが大前提ですけどね。



私が働く放課後児童クラブは、学校と連携する必要があると思っていて、日々その機会を設けようと模索しているわけですが、そんな思いとは裏腹に、学校は校内で起きたことは校内で完結したいと思っています。

見ていて、担任の先生だけが頑張らねばいけない雰囲気も感じます。というか、担任の先生だけが頑張っています。

なので、いつも、もっと放課後児童支援員を頼ってほしいと私は思っています。一人で頑張らないでと。多角的に客観的に事象を見るためにも。


例えば友達同士の揉め事があった時、担任教師が一生懸命第三者の目線で中立に解決しようと頑張ってくれます。しかし、これでは当事者しか見えないので、起きた事象に対して加害者と被害者の構図を作りやすいのです。

保護者は自分の子どもを中心に考えますから、教師よりさらにその傾向は強いです。

そして表面化した問題を解決出来たとしても、なぜそうなるのかというところをアセスメントしない限りは、根本的解決にはならずに時や形を変えて問題は繰り返されます。

子どもが手を出す、口を出す時、必ずそれに至る経緯がありますから。



では何をアセスメントする必要があるのか。

そもそも子ども同士の揉め事が起きてからでは遅いです。何かが起きてしまう前に、どんなコミュニティが子ども達の中で形成されているか、パワーバランスはどうなっているのかをどれだけ周囲の大人が知っているかが、とても重要なのです。


次にそれぞれ個人の言動から特性や性格、発達をアセスメントします。発達障がいが認められる場合は介入にテクニックを要します。

担任の先生だけで頑張れることではないですよね。

子どもは居場所が変われば、見せる姿も変わります。

学校の先生の前と、親の前と、学童での姿が見事に違う子どもだっています。

学校で起きている問題が、放課後児童クラブで既に起きているということも多々あります。

そういった面を含め、多角的に見てはじめて、中立という立場がとれるのです。



このように、同じ学童期の子どもを見ているのだから、学校と学童が連携していて当たり前なはずですよね。

【設備運営基準第20条】にも、
放課後児童健全育成事業者は、市町村、児童福祉施設、利用者の通学する小学校等関係機関と密接に連携して利用者の支援に当たらなければならない。

とあります。

しかし、現状は全くと言って良いほど断交しています。

校長や教頭と会うと、「何かあったら、いつでも言ってくださいね。」と言います。

何かあれば、です。完全に受け身ですよね。

毎月発行する手紙を持参しても、誰も放課後児童クラブでの子ども達の様子を聞いてきません。


最近ニュースにも取り上げられていますが、保護者対応などが教師の労働時間と認められないという判決が出てしまったら、それは可能な限り余計な労力は避けたいと思うに決まってますよね。

このような教師の労働環境、労働時間がきちんと整備されない中で、学童と連携しましょうだなんて、誰が言えますか。

そして、何かあった時、つながりたいと役場の職員にお願いすると、「そこまでしなくていいんじゃない?」と言われて、全く実現しません。

せめて放課後児童クラブでの子ども達の様子の記録物でけでも渡そうとすると、「そこまでしなくていいよ。」と役場の職員に阻まれます。

阻まれ続けている中で、学校の先生と話ができる機会があった時に、ここぞとばかりに準備しておいた資料を渡しながら連携をアピールするわけです。

そして、気にかかる子どもについて少し話をしようとすると、先生からこう言われます。

「個人情報になるので、これ以上はお話しできません。」と。

その個人情報をきちんと管理した上で共有し、支援を模索するのが専門職であるはずなのに。

こう言われてしまっては、どうしようもありません。

なぜ同じ学童期の子どもを見ているのに、なぜ連携できないのですか。

次の記事でもう少し考えてみます。