娘に好きな人が出来た。

名は「やまほん りく」君。

やまほん!?

山本 らしい(笑)
どうやら、ぶた野郎と言いたかったらしい。。。

ぶた野郎なんて 言ってはいけませんむっ!!!
こんな 話しです。

昔 ある所に 5人の若者がいました。
5人には 夢があったのですが、その夢を邪魔する
ぶっとん野郎がいたのです。
○○○ ○○○(私の名前)君という男です。
「それ、俺じゃねえかよって言って!」

以上です。
話しの内容より。。。
「ぶっとん野郎」って!?なんじゃらほい
願い事をしながら、黙って恵方巻を食べるというのをTVでやっていた。

その真似をして、娘がのり巻きを食べていた。

食べ終わると、何を願っていたか教えてくれた。
「みんなが幸せになりますように。ごろーこーたちが勝ちますように。」

「ごろーこーたち?」

「うん、すけさんや かくさんたち。」

どっひゃ~
死んでは いかん

親より先に 死んでは いかん

親より先に 亡くなった家内

家内が亡くなって 俺もすぐに死にたかった。

家内のお母さんは 家内が亡くなって 1年ちょっとで亡くなった。
生きる気力を 無くしたらしい

子供を 2人残して

死にたいと思えば 2、3年で死ねるのかな


俺の母は 生きている。
俺の娘の為に 死ねない と言ってくれる母。

俺が母より先に死ねない。

俺も 子らを 育てる 前に死ねない。

皆 生きるとは 気力が必要じゃ

結論:生きぬいて やろうぞ!!!
家内が悪性リンパ腫で亡くなり、娘を必死に育てていた私に、
縁があり、再び結婚をした。

ところが、
新しい妻は、すぐに体調不良となり、検査結果は「卵巣膿腫」
妊娠は諦めて下さい。とのこと。

ところが、
すぐに妊娠。
卵巣膿腫は治っていた。

ところが、
また、体調不良。
診断結果は、ダグラス窩膿瘍。

実家のお義母さんに頼み、介護してもらった。

無事、出産出来たが、体調不良はそのまま。
産後も不調が続いた。
詳しい検査もしたが、結果は「ダグラス窩以外は、異常なし。」

身内にも「甘えてはだめ!!!」
とか言われながら、「本当に、生きていたくないくらい、痛いの!」
と訴える、妻。

ところが、
ある日、高熱を出す。
かかりつけ医から、総合病院に搬送され、卵管に異常がある事がわかる。

卵管の異常は、非常にわかりづらいらしい。

手術となり、左の卵管と卵巣を摘出。
ボロボロになっていたとの事。
悪い所がわかり、これで改善すると思っていた。

ところが、
体調は改善せず。

結果、家内と息子とは、別居状態。

結論:俺、ほぼ シングルファザー。

初めに。。。
いいね!をくださっている方、ありがとうございます。
私も、読ませて頂いております。
ところが、私もいいね!をしようとしても、何故かそこから出来ません。
ログインしてくださいとなり、IDとパスを入れると、表示出来ませんになってしまいます。
どうも、まだ慣れない事、お許し下さい。

さて、本題。
娘は 卵アレルギー。

家内が亡くなった後、園からアレルギー検査をして下さいと、依頼を受けた。
アレルギーがあると、除去食をせねばならず、たしか半年に1度か1年に1度、
検査をしなくてはならないらしい。

そこで、かかりつけの小児科にアレルギー検査をしに行った。

ショック!!!
手の甲から血液を搾取し、検査をする。
泣き叫ぶ 娘。

思い出した。
家内が生前、アレルギーの検査が かわいそう過ぎると言っていた事を。

その後また、園から アレルギー検査の依頼があった。

それまで「手の甲から」をさせたくないので、
私なりに、卵に慣れさせるように、少しずつマヨネーズを与えたりしていた。
3歳を境に、アレルギーが改善されると云う情報もあったので、、、
なにより、手の甲から血液を採取するということが、泣きじゃくる娘の姿が、
堪えられなかった。
その結果、かなりの量のマヨネーズを食べても大丈夫ことが、確認出来た。

従って、その事を伝え、園からの要請に対し、除去食は必要ありませんと答えた。

ところが、園としては、医師の許可がなければ、出来ませんと云う回答。

「親の私が責任を持ちます」
と言っても、規則があるから出来ない。とのこと。

そこで、「手の甲」以外の方法を 調べる。
結果、パッチテストという検査方法がある事を知る。

いつもの小児科にそれが出来るかと聞いてみると、
出来ない。という回答。

ネットでパッチテストは、皮膚科でやっているらしい。
娘も掛かった皮膚科に、問い合わせてみる。
「やっていないです。」

周辺の皮膚科を調べ、TELで問い合わせまくった。

ついに、見つける事が出来た。
予約は出来ないとの事で、園から帰って、連れて行った。

2時間以上待たされて、検査。

パッチテストだけだと思ったら、指先から血も採って、両方で検査するとの事。

”話が違う!!!”

しかし、指先は一瞬と云う事もあり、承諾。
一瞬なら、各種予防注射もそうであり、注射の時はいつも私がつきそい、
その瞬間、私が娘の足とか尻をつねり、気をそらしてきた。

「手の甲」の時は、引き離されていた。

指先の採血は、お尻をつねり、事なきを得た。
パッチテストは、もちろん問題無し。

結果、「アレルギーの心配無し。」

ほらみろ!!!

まあ、医師免許は無いので、診断書は書けない。

仕方ないんでしょうね。

結論:俺、頑張ってる。

家内が亡くなり、娘を懸命に育てていた。
生前から、寝かせ付けもおむつや風呂のせわも、私が家にいる時は最大限していたので、
手は慣れていた。
いきなり余談だけど、初めから育メンであった訳ではなく、尻に敷かれていた訳でもなく、
うまいこと言われて、いつの間にか、自分から世話をしていた。
まあ、手のひらの上で転がされていた。
でも、それがとても心地よかった。

さて、本題。
ある日、保育園から呼び出しがあり、自閉症の可能性があるので検査(?)に行ってください、
と云われた。

園での問題行動や、言葉の発達に遅れがみられるとの事。

まず、園に勧められ予約を取って、市の健康センターに行った。
それから、そこで紹介された病院にも行った。

結果はどちらも「自閉症に近い面もありますが、自閉症ではありません。」

そのことを園に報告すると、とにかく問題行動をなんとかして欲しいらしい。

こっちこそ、なおす方法があるのなら聞きたい。

しかし、誰の子でもない、我が子の事。
そこで、仕事を変え、なるべく一緒にいられるようにした。
両親とも同居していたので、大変協力してもらった。

ただ、あまり変化はみられない。


落ち着いて考えてみた。

「言葉の遅れ」
そういえば、家内が亡くなってから、僕はあまり話さなくなっていた。
娘が話しかけてきても、「うん、うん、」と話を聞いて相づちはするが、
こちらから何か聞く事がなかった。
何を言っているかわからない時も、頷いているだけだった。

猛省して、それからは話しかけたり、言ってきた事に質問したり、
何言っているかわからない時は、聞き直し、
発音の間違いや、文法の間違いがある時は、一緒に練習した。

そうして、年月が過ぎ、園からも「すごい成長です。びっくりしました。」
と、大絶賛?していただきました。

結論:俺、がんばってる。
娘が力みながら
「おならが出来る おならが出来る」
と言っていた。

「おならが出るの? その時は おならが出るとか、おならが出そうっていうんだよ。」

でも 力みながら
「違うの おならが出来る おならが出来る」
と言う娘。

このやり取りが 数回。

後で 気づいてわかった事。

クレヨンしんちゃんが言っていた、
おらなら出来る おらなら出来る。」

の 真似だった。


ほぼの訳の続きは また。。。
娘が2歳3ヶ月の時 家内は 悪性リンパ腫で他界しました。